majiri

新聞記者のmajiriのレビュー・感想・評価

新聞記者(2019年製作の映画)
1.0
かつて90年代、「踊る大捜査線」で青島は、警察のキャリアを登り詰めてトップから変えると言った室井と共闘し、自分はここで踏ん張るのだ的なことを言っていたような気がする。
事件は会議室で起こっているのではなく、現場で起こっているのだと彼は言った。
この映画「新聞記者」は内閣情報調査室(内調)がいわゆるネットサポーター的な振る舞いをして、ネット上の情報操作をしているストーリーと、(そして巻き込まれる若い官僚と)それに何とか抵抗していこうとする一人の新聞記者の物語である。
青島と室井はこの物語の吉岡と杉原のように結託するが、「踊る〜」では周辺の人もはっきりと敵か味方に分かれていた。
しかしこの作品では、(この作品が作られる経緯も含めて)誰一人としてはっきりとした意志をもって行動していない。それはつまり、誰もが「なにかを信じてはいない」ということである。かつての菅原文太や高倉健のような「しん」の通った人間の在り方である。黒澤明の蟻を集めさせるエピソードのようなものである。しかしこの物語がどちらかというとノンフィクションよりの作品である為仕方ない面もあるだろう。現代とは現実にそういう側面があるのだから。
内調の怖い上司も、死んだ上司も、二人の主人公も、あるいは記者側の同僚や上司も、まるで死んだ眼をしている。
青島と室井は違った。青島は一人の警察官であることだけに誇りを持っていた。室井は組織を変えるということに執念を持っていた。
僕がこの映画に見たのは結局のところ日本版ブラックミラーである。
既に誰も(ネット上の振る舞いでさえも)伝わるということが、信じられなくなった主人公たち、
新聞記者吉岡が苛立ちが募り自分の思いをツイートするが、それを打ち消すような内調のデマやフェイクの書き込みの仕事。
それに何も知らずに流されるリテラシーのない人々。あるいは旗を立てられれば乗っかって盛り上がるだけの(健忘症の)人たち。
なのにそこにしかアクセスすることが出来ないような吉岡の振る舞い、あるいは若い官僚杉原が自分の妻が妊娠中なのにそれを手助けることが出来ないばかりか、最後の行動で妻と娘を危険に晒す。
しかし、その動機付けは自分の信じた上司の納得がいかない死に方であり、それと妻を天秤にかけただけのなんとも弱いものだ。
青島はトップになどなりたくない。一人の警察官としての仕事に誇りを持っていただけだ。その先輩はワクさん(いかりや長介)であった。踊る大捜査線はコテコテのベタなドラマだった。
でも、こういう人間が、もう日本にはいないかのような絶望的な雰囲気がこの映画を支配している。
そしてそれを糾弾してなんになるというのか?
国も形だけ保守してなんになるというのか?
「民主主義は形だけでよいのだ」
を肯定してんじゃん。
そして、あらゆるものがひたすらされる情報操作(フェイクだろうが、真実だろうが)の先にあるものを、想像して吐き気がする。
それは感覚の麻痺である。
これが、もしフィクションの映画だったならばSFとしては点数高いけど、
最悪!みんな目が死んでるとこは現実じゃん!!!


⚠︎評価は1ですが、右の人ではありません。
あまりにも何もかもがズブズブな様を見せつけられて辟易しました。
majiri

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