新聞やテレビに流せる「事実」を担保するのは誰か、あるいはなにか。
新聞に載せられる事実性や責任を保証してくれるのは、刑事事件では各管轄の警察署の副署長。
政治では官房長官?内閣府?
あらゆる分野でそういう「事実」の共犯者である副署長的存在がいる。
他紙をすっぱ抜くためのちょっとだけ早い情報を得るため、また事実性と責任を担保してくれるお上との関係を悪化させないために日本には“記者クラブ“というお上と仲良くするためのシステムがある。
誰もが責任を取りたくない社会、一度責任を負ったものは抹殺される社会、そういう日本社会では真の意味でのジャーナリズムは死んでいると個人的には思っている。
上から降りてくる情報に批判できない体制は冤罪や取り返しのつかない社会情勢を生んでしまう。
皮肉にもゴシップ誌として扱われていた週刊文春だけが記者クラブの関係性からは解放された独自の情報網によって、日本唯一ともいえるわずかなジャーナリズムの火が残っているくらい。
そしていま現在、これだけ大変な状況ながらも現実で流されるあまりにくだらない様々なニュースやネット工作。
某動画には賛否両論という見出し。
さらにはイヌに癒されたという大量投稿。
この映画で描かれている負の側面が現実に様々に噴出していて、あまりの怒りにとても冷静には観られなかった。
自らが考え、体験し、構築した事実や責任を負って動いてくれる記者や官僚はすでに過度な責任を負わされ、抹殺され尽くしてしまったんだろうか。
政権にとって都合の良い事実が社会の事実として流され続けてきたこれまでの日本の腐敗が少しでもはやく改善してくれることを切に願う。
そういう想いに駆られる社会派映画の良作でした。