ニシカ

天気の子のニシカのレビュー・感想・評価

天気の子(2019年製作の映画)
4.3

「俺はただ、もう一度あの人に会いたいんだ!」




商業的に大成功した前作の後に放つのは、新海誠監督の作家性ダダ漏れフルスロットルなボーイミーツガールだった。


もはや大メジャーな監督ゆえ、避けては通れないスポンサー関係の描写もたくさん出てきますが、前向きに取り入れ観る者の日常へと繋がるリアリティへと上手く変換させていると自分は思います。チキンラーメンがキチンラーメンや、BOSSの自販機がBOSHってなるよりよっぽど良いですよね。そして東京で日々を過ごす自分にはいつもの見慣れた場所(路面広告名を含め)が物語の中とクロスオーバーする楽しさも出てきますしね。

ラストに全てを救う多幸感溢れる方向に持っていけば、前作からのファンにはよりわかりやすかったのでしょうが、安易な表現に収まらず、〈キミとボク〉の新海節で突っ走ってて、これだけの大規模で良くやったなーと笑

ラスト近辺の天空から2人が降り落ちるシーンなどは、事前に動画や画像を漏らさず、大規模なキャンペーン展開がされる中でも観る者へ守るべきシーンへの情報コントロールもしっかりしてくれています。

そしてなにより、
アニメにしか出来ない表現をしているし、
アニメはこれで良いんだよ。
映像美も素晴らしく傑作じゃん。


「気にすんなよ青年! どーせ世界は狂ってる」



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冒頭、帆高は"ライ麦畑でつかまえて"を所持していること(家出の際にすら持ち出すレベルで彼にとっては重要な一冊ということ)が描写されています。


ライ麦には、
‘ ホールデンがフィービーに「自分のなりたいもの」について語るシーンがあります。

賢いフィービーに『ライ麦畑でつかまえて』ではなく、実際には『ライ麦畑で会うならば』だよ、とつっこまれるのだけど、ホールデンは適当にごまかして続けます。

広大なライ麦畑で何千という子供が遊んでいて、危ない崖っぷちに立って遊んでいる子供が転がり落ちそうになった子供を捕まえる。そういう仕事がしたい。

ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。’


こういうシーンがあります。

帆高が陽菜を会いたい(救いたい)と強い感情になった恋心の中に、このライ麦からの影響が少しはあるのでしょう。



「天気って不思議だ、ただの空模様にこんなにも気持ちを動かされてしまう。心を、陽菜さんに動かされてしまう」
 
天気は人の心を変える。
これほど年齢・性別・人種を問わずに、
誰にでも当て嵌まるテーマを物語に出来るのは流石だなと。
 
まだ10代の頃、
とある小説の中に雨に触れた表現で自分の雨に対する価値観というか、雨に対する見え方が変わった一節があります。
‘私は雨が好きだ。露しぶくような氷雨。しとしとと降り続く六月の雨。夏の日に駆け抜ける夕立。罪人を打擲するような夜の驟雨。目覚めの窓辺で聴く雨だれ。頭の上で雨を弾いて鳴る傘。庭で土がたてる柔らかな呟き。雷鳴。霞む遠い山。波紋が躍る水溜まり。洗われる花。濡れて光る街路。そんなどれもが好きだ。でも一番好きなのは、雨の最後の一滴が空から落ちた後に訪れるものーーーーーーーー雨上がりだった。‘    
-双頭の悪魔-有栖川有栖著
(この文章は写メしてスマホに入っている。)
 
ふと雨の日に何かの折について、この一節を思い出すことがあるのですが、この天気の子を観た時も同じように思い出しました。
 
本作のテーマの1つでもある“雨”ももちろんですが、新海監督は雲間から伸びる光、電信柱越しに眺める空、夕日に染まる教室、雪の降り積もる坂道など日常の切り取り方の構図も素晴らしいのです。
(以前、新海誠展に行った際、キャラクターを乗せない、背景のみのカットを複数見たのですが、写真が好きで構図など普段から意識している自分は、その構図の素晴らしさにひっくり返りました。
まぁ、稀代のクリエーターなので、あるゆる面で一般人の我々とはセンスが違うのはわかっているのですが、、)
 
 
 
 
なんだかんだとあまり纏まもりなく、つらつらと書きましたが、すでに本作を3回も観てしまいました。
回数を重ねて細かく観ていくと、監督がたくさんの作品から影響を受けているのがわかりますよね。
 
なかでもグランドエスケープが流れる積乱雲からの降下シーンはやはり鳥肌レベルです。
 
 
 
「彼女と共に過ごした、あの夏。
 東京の空の上で僕たちは、世界の形を決定的に変えてしまったのだ。」
 
もうこれは
"バルス!から、"ボクたちは、大丈夫!"への継承ですね。
 
子供の頃、テレビ放映で『ラピュタ』を見た時、パズーとシータが降下するシーンに心奪われたように、本作がテレビ放映される時はテレビの前で私達がラピュタを見た時のように帆高と陽菜の降下シーンに心奪われる子供たちがなかには出てくるんじゃないでしょうか。
 
野田洋次郎の曲とあいまって、それぐらい名シーンだと思います。
 
 
だって、母親の手首に巻かれていたアクセリーは陽菜のネックレスになっており、(形見なんでしょうね)そのネックレスについた石なんかはもう、あのシータの"飛行石"に見えましたよ(笑)

・白龍は出てくるし、凪くんはハクに似ているし、線路は出てくるしで『千と千尋の神隠し』とかもね。
 
 
 
“祈り”
 
ラストシーン、
田端駅に近い片側に紫陽花が映える坂道の上で
帆高が陽菜を見つけた際、陽菜は手を合わせ祈っていました。
 
彼女は“何を思い”祈っていたのでしょうか?
 
この世界を雨の世界にしてしまったことからの、晴れを願うことや罪悪感からの祈りか?
帆高に会いたいという恋心な祈りか?
 
 
祈る陽菜を見た帆高は「大丈夫だから」と涙を流します。
 
帆高は陽菜が罪悪感からの祈りであると感じたのでしょう。だから"大丈夫"と涙を流したのではないでしょうか。
 
 
陽菜自身は何を祈っていたのでしょうか?
 
これは観た者に新海監督は委ねているのではないかと思いますが、みんなはどう感じたのでしょう??
 
 
 
 
さて、
世間はなかなか厳しい評価ですね(笑)
 
銃が非現実とか、それぞれの両親不在について説明が無いとか、主人公が勝手すぎるとか、東京の線路を走るのはありえないとか、。協賛が多いとかね。
まぁ、出てくる出てくる
 
それは背景描写がリアルで、自分たちの日常と同じ東京で展開されて、極めて現在と地続きなリアルな世界で物語が進むゆえにアニメの物語なのに、それは無い!とツッコミが多くなっているのだと自分は思っています。
 
新海作品は『‪言の葉の庭‬』からデジタル技術の発達とともに加速的にリアルさが増しました。
(スタッフとかスタジオの力とかもちろんありますよ、上記してきたことも含め細かいこと言い始めてたら進まないので大枠で進めます。)
 
ただ『言の葉の庭』はキャラクターも現在の新海作品に出てくる作品よりリアルに近いんですね。
『君の名は。』では背景のリアルさはそのまま精度をあげながら、キャラクター達を「言の葉の庭」と比較した際、よりアニメっぽい方向にもっていっています。(君の名は。・天気の子のキャラクターデザインは田中将賀)
この点も大成功した要因であると思います。
 
リアルに近づけば、倫理観が観る者のなかで、湧き上がってくる率が高くなる傾向があるのではないでしょうか。
 
15歳の少年なんて、自分のことと気になるあの子のことだけしか見えないよ。
またパズーやシータの両親についてみんな詳しく知ってる?
そして、パズーがもしシータが陽菜と同じ目にあったなら、帆高と同じように銃も撃つし、警官からも逃げるし、きっとJRの線路を爆走すると思いますよ(笑)
 
 
 
なんだったらコナン君だって麻酔銃を撃ち倒しいているし、エンジン積んだスケボーに乗って東京を滑走してるじゃん。
 
 
少年の頃、エヴァを見て葛城ミサトに憧れたように、夏美のような奇麗で活動的なおねーさんに少年はドキドキするのだよ。
 
 
そして、いくつになっても谷間には本能で目がいきますよ。男はそれを見ないようにって意識して見ないようにしている生き物です。


童貞臭したっていいじゃん。
 
みんな厳しいね(笑)



ラストは天気雨だった。
この意味に気付けましたか?

本作は傑作だよ。