マンボー

天気の子のマンボーのネタバレレビュー・内容・結末

天気の子(2019年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

大都会東京、郊外の暮らし、雨、雪、晴れ間、雨に映える緑、路上、雑踏、廃ビル、その屋上の赤い鳥居。相変わらず精緻な2019年の都会のスケッチのような背景が美しい。

異常気象、災害、親のいない子どもたち、家出、銃汚染、就職難、警察からの逃亡、実子との別居、様々な現代の社会問題を織り込んで作られたストーリーの背景が巧み。

主人公の少年は、離島から家出をして東京にやってきたらしいこと以外は、終始全く語られない。しばらくしてお金に行き詰まると、浮浪児のように東京の街を這いずり回り、やがて船で出会った胡散くさげな三十代ぐらいの風体の男性を訪ねて、雑誌のライター助手として食いぶちにありつき、住み込みで生活を始める。

そこから先は、現代の寓話。魔法の使えない「魔女の宅急便」のキキのように、クロネコを飼い、ライターの仕事で様々な人のインタビューなどに出かけて記事を書きながら、都会の街のマクドナルドでお金が尽きかけた頃、アルバイトをしていてハンバーガーをおごってくれた少女に再び出会って、どんどん物語が転がりはじめる。

前作では、少年と少女が互いに惹かれあうものの、その説得力があまりに乏しかったが、本作では互いに社会的弱者で、共感しやすい境遇にあり、さらにアルバイトがてら二人でスタートさせた仕事で成功体験やアイデンティティの形成を共有しており、前作よりも二人の互いへの想いを理解しやすかった。

前作同様、人智の及ばぬ神がかり的な何かが、特別な物語性の鍵になっていて、伝奇を下敷きにしたSF的な展開は、また来たなという感じだが、アニメーションに合った手法でもあり楽しめた。

現代社会の中で、考えうる限りどこまでも底辺に近い環境で暮らす社会的弱者の少年少女を、それなりにリアルに、でも残酷にではなく、彼らなりの幸せを育ませて描いた点が好ましかったが、少女のキャラクターはどうしても男性から見た理想的で優等生的、嘘をつかず、愚痴も屁理屈も悪口も言わず、容姿はよくて、やや受動的で、でも料理上手、物分かりと面倒見がよくて都合の良すぎる女の子過ぎたかもしれない。

また画では、エンドロールを観ながら、物語の鍵を握る見事な寺社の天井画を、ジブリでも活躍されていた山本二三さんが手がけたと知って、変わらぬベテランアニメーターの健在ぶりが嬉しかった。

ラストシーンも前向きで、前作「君の名は」に似た構造だったけれど、満足感があった。前作は、ストーリーがかなりややこしく、それを力わざで成立させていて、その説明不足に消化不良を感じたけれど、本作はその点、スッと胸に落ちる印象。ただ分かりやすさゆえに、後に残る複雑な余韻は少なめ、さらにスケール感にも物足りなさを感じる人がいるかもしれない。

また終盤、ヒロインは悪天候の続く東京の人柱に選ばれたに違いなく、彼女を生贄にすれば天気が回復するはずとの伝承に反して、主人公とヒロインとは、人々のために犠牲になることを選ばず、東京は雨がうちつづきやがて水没する。
個人が、大多数の人の幸せのために犠牲になるストーリーは、古来から現代に至るまであまりにも多い。昔話では、美しい少女が神や悪魔や領主の捧げものにされたものだし、ヒーローは何度も自らの生命を犠牲に人々や地球を救ってきた。そんな通例に反して本作の二人が、あえて人々のための犠牲となることを選ばないストーリーは、現代的で理想主義的かもしれないけれど、個人的には絶対にありだと思っている。

数名の不幸で、大多数の人の幸せを成り立たせるという社会や考え方の肯定は、今作の伝承のようにその効果が曖昧なものであればもちろん、より効果が確かであっても、個人的には馴染まない。
また、これまでの自己犠牲のヒーロー視こそが、ブラックな社会を生み出す源泉で、社会の狡猾な強要でもあり、当事者やその関係者でもない人々による社会のズルさの反映だと思うし、本作の選択はセオリーに染め抜かれていた頭には、それこそ斬新で正直に云えば驚きを禁じえなかったけれど、とても共感できるものだった。

フリーライターの男性、その姪の女性、ヒロインの弟、リーゼント風の刑事、年配の刑事など個々の独特の個性も、描きこみは浅くない。ストーリーにも、さすがに抑揚も見せ場もしっかりとある。カッコよくて姐御肌、でもガサツではない女の子なんて、実は世の中にほとんどいないのに、作者も自分も大好きだということも、気恥ずかしいながらよく分かった。

物語としての道具立ての都合の良さ、ヒロインの男性目線の都合の良さやその青さが気にならなければ、スケールは前作に及ばなくても完成度は高い、誰もが楽しめる、よく作り込まれた娯楽の秀作だと思う。