Koichiro

天気の子のKoichiroのネタバレレビュー・内容・結末

天気の子(2019年製作の映画)
2.3

このレビューはネタバレを含みます

僕は新海誠作品が苦手だ。その理由は主に2つだけで、①男性キャラクターの動きの要領の悪さ、センチメンタルな振る舞いをもどかしく思ってしまうから、②青年の感情が複雑に生起する様子が、少しなおざりに跳躍を伴いながら並んでいってしまうから、というもの。
今回の作品は、②に関わって、帆高が陽菜を好きになる過程・経緯がピンとこないことが、特に気持ち悪いと感じた。画が美しいこと、ノースリーブシャツとタイトスカートが似合うシルエット、可憐に響く声優さんの声といった身体的特徴から、陽菜への好感度は自然と高まるのだろう。だけど、16歳男子が女の子を好きになる過程は、もう少し複雑であるはずで、好意が恋だとわかるキーポイントがあったはず。衝動的に陽菜を救おうとして、発砲と暴力を働いたあと、「晴れ女」の仕事のパートナーとしてタッグを組むだらりとした流れの中で、あれほど強い愛情は生まれるのだろうか?非常に疑問。プロットが壮大で伏線回収も巧みだからこそ、それらが引き立つ一方でおざなりになってしまう愛情形成の過程が雑だと感じたことが、ただ一点、しかし非常に残念な評価に繋がってしまった。愛情形成の過程が不明瞭なために、男性キャラクターのもどかしさ、不器用さも、「ウブすぎて陽菜の容姿に惹かれただけの単純な男子」像の補強になってしまっているように感じた。新海作品の男性キャラクターは、思いの起伏が不安定で、突然愛や運命を感じ、突っ走ってしまうため、僕にとっては感情が読み取りにくく陳腐に見えがち。
今回は「秒速五センチメートル」の主人公と同じくらいの嫌悪感を感じてしまった。16歳男子の複雑に揺れ動く恋心を、ナメすぎているような気がしてならなかった。
とはいえ、様式美すら感じさせるプロット、画の美しさ、声優陣の透き通る声、RADWIMPSの音楽の優しさは高く評価している。小さなことだろうけど、モヤモヤが大きかったから、エンドロールの途中で退館して2本目、別の映画を鑑賞した。
Koichiro

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