シュトルム凸映画鑑賞記録用改め

HELLO WORLDのシュトルム凸映画鑑賞記録用改めのレビュー・感想・評価

HELLO WORLD(2019年製作の映画)
4.1
点数が低迷、二極化していたので、観に行くかかなり迷ったが、観に行って正解でした。

「胡蝶の夢」の昔から、果たして、我々の世界は本当に「現実なのか?」という疑問はその反駁の不可能性からか、我々を奇妙に捉えて離さない。最近では「シミュレーション仮説」といって、我々はより高次の知的存在の構築した仮想現実の中の住人である可能性が高いとさえ言われる。(かなり過激な仮説だとは思うが)
本作もそのような仮想現実内の京都市の住人である堅書直実が主人公で、自分の住む世界が現実だと信じきっている彼の前に、十年ぶん成長した自分自身が現れ、ここは十年前の過去の記録をシミュレートする仮想現実空間であると告げることから開幕する。
そして未来の(そして現実世界の)自分が現れた理由は、これから出来るガールフレンドの「一行瑠璃」が3ヶ月後に事故死するのを阻止するためだという。仮想空間での運命改変は現実を変えることには当然つながらないが、仮想空間の中であっても彼女の笑顔が見たいのだと未来のカタガキナオミは告げる。
ストーリー自体は王道のボーイミーツガールだが、ヒロインの一行瑠麗が、無表情系ながらも魅力的で(スマホの使い方がよく分からない彼女との手紙のやり取り(電話でさえない!)など、古風で麗しい)、バッチリ感情移入出来た。何しろ、主人公がSF好きで、ヒロインは冒険小説好きという、早川書房みたいなカップルである(笑)。まるで自分のアニマとアニムスを見せられているようで愉しかった(私はどちらかと言えば、冒険小説寄りだが) 0.1点は一行さんの可愛さ加点である。冒険小説好きの女子なんて、フィクションでもあまり登場しないからなあ…SF好きはたまにいるんだけど。もうそれだけで、すっかり嬉しくなってしまった(笑) 彼女もシュタイナー中佐とかリーアム・デブリンなんかが好きだったりするんだろうか…
3DCGはまだ発展途上の生硬さを魅せていて、若干不気味の谷を脱し切れていない感もあるが、一行さんの愛らしい仕草(スマホの使い方がよく分からないので、スマホをつまみ上げてアレコレする所とか)や仮想空間での大規模な破壊を描写する手段としては必要な威力を発揮している。
設定やストーリー的には「インセプション」や伊藤監督自身の「劇場版ソードアート・オンライン オーディナル・スケール」と類似点を見出すことも可能だ。ソードアート・オンラインでは、10月から恐らくアニメ化される部分で、「現実世界にもさらなる上位の創造者が存在するかも知れない、その場合、被創造者だからといって、創造者に膝を屈するのか?」という容易に解けないであろう疑問が仮想世界出身の「人間」から突きつけられる。「現実」と「データ」を比較して、現実の特権性を主張しようとしても、「現実」が真の「現実」であることを証明することは出来ないのだという事実はこの手の作品を鑑賞する上で、忘れてはいけない視点だろう。
この点で、引きこもりやネット中毒批判からの延長線上などから容易に想起される「ぬくもりのないデータより、ぬくもりのある現実は尊い」といった凡百のテーマからは一線を画する。何しろ何が現実かを立証することは原理的に不可能なのだから。これこそがSFの醍醐味であろう。

追記 スピンオフ動画、ANOTHER WORLD視聴。ガンバ(「冒険者たち」私も未だに持ってるよ!)が好きなんだ、一行さん…ガンバのテーマを歌う一行さんが可愛い。あとは、隆慶一郎の「吉原御免状」が一行さんオススメというので嬉しくなる。「これは冒険小説です!」と力説する一行さんが心強く、いとおしい(笑)



以下、原作(というかノベライズ?)未読の上での考察。
「開闢」を迎えた新世界は恐らくもう一つの「現実」となった。一方、本来の「現実」も救済されたのだが、仮想現実は過去もシミュレートできるという設定であるため(ということは、未来もシミュレートできる)、その先後関係は問題にならず、本来の「現実」が本当に「現実」であり「大元」であるかは分からない。案外、新世界が本当の現実であり、本来の「現実」がその内部でのシミュレートなのかも知れない。その場合は、卵が先か鶏が先かのややこしい「円環」が成立するかも知れない。面白いな。
原作を是非読んでみたい。