このレビューはネタバレを含みます
憤懣やるかたなしとはこのこった!💢
BLM運動が高まっていた時期に無料配信されたこともあったこの作品。
その頃から見なければ見なければと思いながらついつい後回しになってしまっていたのは、見たら十中八九精神的に食らうハメになるんだろうなぁという気の重さがどうしてもあったせい。
そうやってためらっているうちに無料期間が過ぎて、で、アマプラでレンタルしたもののこれまたレンタル期間も見ないままに過ぎてしまうという体たらく。
で、今回ネトフリが勧めてきたので今度こそ見ましたとも!
で、まぁ案の定「えええええー!!!」、「嘘やん」、「これだけ証拠出しているのに再審請求却下ってどういうこっちゃ」とか「殺されんといてー!!!やーめーてー殺されんといてー!!!」とか「法廷侮辱罪で逮捕されちゃうからお願い座ってー黙ってー」とか、画面に喚きつつ、クッションに八つ当たりしつつ、ゴロンゴロンと悔し過ぎて転げ回ったりするなどの全力視聴となってしまいました。
いやもう見終わった時はクタクタですよ。
”何もしていないんだからすぐに間違いだってわかってもらえる”なんて絶対に思っちゃならねぇ。捕まったら終わりなんだよ。
むしろ帳尻合わせするように現実がねじ曲げられちゃうんだよおう。
ブライアン・スティーヴンソン という実在の弁護士さんが主人公。
ハーバードのロースクールで弁護士資格を取得し、アラバマ州で正当な裁判や弁護が受けられないままに死刑が確定した死刑囚の弁護を引き受けていく。それも依頼人から報酬を取らないプロボノで。何だろうもう本当に拝みたくなるぐぐらいにいい人。
弁護士たるもの”いい人”っていうだけでは裁判で戦っていけないんじゃないかと素人ながらに心配しつつ、少しずつ彼の活動に賛同して事務所で働く人が増えていくというのがとてもさりげなく映し出されて行くんだけれども、それも何だかもう全員に「ありがとう。この人を手伝う気になってくれてありがとう」ってお礼を言いたくなるっていうか心からのリスペクトを示したくなるような。
そのことによってものすごいリスクを背負うことになるのに証言をしようとしてくれた人たちや最後の最後ではあったけれども自らの過ちを認め法律家魂を見せてくれたあの検事さんも本当に勇敢だったと。
特にあの検事さんはあの瞬間までは画面に映ればクッション投げつけたくなるぐらい物凄く大嫌いだったけれど、あの瞬間に”えらい!尊い!”ってもう拝んでしまいたくなりました。
“誤ち”を認めることがどれほど困難なことか。
だって"誤ち”を認めたがらない人がいっぱいいるから簡単なことが全然簡単じゃなくなってこじれに拗れて大勢の人が死ぬようなことになったりするんだもの。
少しずつだけれどシンパシーを見せるようになっていく若い刑務官の人も”えらい!”って。
こういったほんの少しの、小さな善意と勇気が集合体になったときに発揮するパワーを感じられた時、人間だって全然捨てたもんじゃないって思える。
映画でとりあげられたのは1988年の案件。
家に爆弾仕掛けられたとかって脅しの電話がかかってきたりするのを見て「評決のとき」でマシュー・マコノヒーが演じていた弁護士さんもお家燃やされていたなぁって思い出して、「あの時から全然変わってない」って書こうと思って調べたら、「評決のとき」の舞台設定も1980年代だった。
キング牧師が暗殺されたのが1968年だから....それ以降、どんどん悪化していっているとかなのか???💦
いやそんな....ええっと....。
なんだか思考停止してしまったのでちょっと置いておいて。
何がどうしたらこれが証拠として認められないのかとか再審請求が通らないのかということが再三 繰り返される中で、思い出したのがやっぱり冤罪に苦しめられたカリーフ・ブラウダーのドキュメンタリー。
あれは2010年〜2013年に起こったことだ。
こういったことを”逮捕されるのにはどこか不審なところがあったんだろう”とか”法を犯すようなことをやっているんだろう”という感じで受け流し、ルールをきちんと守って真面目に生きている自分には関係のない話とたかを括っていると、恐ろしいことになるというのはもうあちこちの国で実証済み。
何が正しいのか何が本当のことなのか、第3者の立場であったり、ニュースでなんとなく聞いたことがある程度の位置関係だと知ることはとても難しいし、それでなくても人生いろんなことがあるから自分と直接関係のない煩わしい出来事は考えたくもない。それが本音。実のところ今でも全部シャットダウンしてしまいたい衝動に駆られる。
でもこういう自分には直接的影響のない離れたところで起こっているような案件で普段から思考訓練を積んでおくのは大事なことだと2020年は特に強く思わされた。
話は変わるが、
去年、冤罪系の映画やドキュメンタリーをいくつかみたあとで、この映画に出てくるような取り組みをしている「innocence project」という組織のポストをSNSでたまたま見かけた。
死刑が確定しているが冤罪を証明するためにDNA鑑定をしたいが却下され続けているので世論からもアプローチしてほしいというような内容で、もしも再審請求が通らなければこの方は2020年の12月に死刑執行となるとあった。
アメリカ人でない私が手伝えることといえばSNS上でリポストやRTするぐらいしかないのだけれども、どうなるのか見守っていこうと思った。
確か6月頃の話だったと思う。
死刑を執行するぐらいなのだから冤罪の可能性があるなら刑を執行する側もグレー部分の存在は確実に消してからにしてもらいたいと感じた。
有罪か無罪かまでは確信は持てないけれどもDNA鑑定でそこがクリアになるならやってほしいし。
もしもこの方が冤罪であるのなら真犯人は野放しなわけで遺族の方もそっちの方が浮かばれなさすぎると感じた。
私が追っている間にもDNA鑑定の必要性みたいなのは却下され、加えてSNSでも別に大きく話題になるわけでもない。
時間だけが過ぎていって、「もしやこのまま死刑になってしまうんだろうか」って全然関係ない私ですらとても落ち着かない気分になってきた。
幸い11月頃だったか、2020年12月の執行は先送りになったという知らせがポストされ、ちょっとホッとした。
でもそのあとで、冤罪の可能性のある死刑囚の方の処刑が執行されたとSNSがざわついていたので、その方のことは全く知らなかったけれども、なんともいえない気分になった。
本当になんて難しいんだろう。
映画の話に戻るが「Just Mercy」で示された案件は論理的思考の苦手な私ですら理にかなっていないというあからさまな”誤り”もしくは”手抜き”、それでなければ”故意の悪意”としか言いようのないもので、もしもそんな案件が山ほどあるのならこんなに恐ろしいことはないなと。
これまではイメージとして”どこまで突き詰めてもグレーな部分がある”というようなことが”冤罪”かどうかで悩むようなケースで冤罪がおこっていると勝手に思っていたのだけれど、そんなスマートな話では全然ないっていうことがとんでもなく恐ろしくて。
そんな気持ちになった時、このブライアン・スティーブンソンという弁護士さんの存在のありがたみというかなんというか。
うん。
希望だなぁって。
追記:
ずっと成り行きを見守っていた方は無事に冤罪が証明され釈放となりました。