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火口のふたりのalmosteverydayのレビュー・感想・評価

火口のふたり(2019年製作の映画)
3.0
主要キャストは柄本佑と瀧内公美のふたりだけ、食べて寝て言葉と身体を交わす様がひたすら延々描かれる、ざっくり言えばただそれだけの映画でした。が、凡百のR18映画とは明確に異なる点が少なくともふたつあるように思います。

ひとつ。性にまつわるあれこれをドラマチックに盛り上げるのではなく、食事や睡眠といった日々の営みと同列に描いていること。それは、再会後初めての性交に至るまでのプロセスを劇的なBGMにも凝ったカメラワークにも頼らず淡々と追っていることからも明らかなように、明確に意図された編集であると認識しています。冒頭20分あたりまではふたりの裸にいちいちどぎまぎしていたけれど、次第に慣れてありがたみ(?)を感じなくなってきた辺りからが本番なのだろうという気がしました。非日常の最中にありながら、当たり前のように手の届くところに確かに存在している自分以外の温かな身体。平穏と混沌、不安と執着といった表裏一体の物事を際立たせるためにこうした描写が必要だったのではないか、と考えています。

ふたつ。ふたりの会話が愛慾に溺れる男女のそれとはおよそ信じがたいほど淡々としており、時に説明が過ぎるほど描写的であり、まるで脚本を朗読しているかのようであること。具体的に言うと、現代を生きる標準的日本人であるところの我々は普段「〜している」といった言い回しを実際には「〜してる」とカジュアルに発声することのほうが格段に多いわけです。敬語を必要としない間柄においては特に。しかし、本作の柄本佑はこれをきっちり「〜している」というふうに話すんですね。彼は「素敵なダイナマイトスキャンダル」「きみの鳥はうたえる」といった過去の主演作においても本作同様わりとグダグダした感じの肩肘張らない男性像を演じてきていて、いずれももっとくだけた調子のセリフ回しで数段ナチュラルにダメ男になりきっていました。ということはつまり、本作では相当ガチガチに脚本を遵守した演出がなされたのではないかと推測されるわけなんですけど、これがまあいちいちひっかかって仕方なかったです。さっぱり意図がわからない。これがもっとふつうの会話で描かれていればもっと深く物語に入り込めたのにな、と少なからず残念に思いました。野村佐紀子によるモノクローム写真がとても艶かしく美しかっただけに、この世界をさらに拡張するようなものを見せてほしかった、という消化不良感がすごいです。

柄本佑が食べていたあのアイスはババヘラでしょうか。羽後町のワインバー「蔵しこ」も気になります。
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