突然国際スパイとなってしまったセールスマンは何を「売る」のか
1962年のキューバ危機。アメリカとソ連の核兵器の実用危機を回避しようと、アメリカのCIAとイギリスのMI6は結託し、突然に普通の商売人であるイギリス人「グレヴィル・ウィン」にソ連の機密情報の情報伝達役を依頼する。
ウィンは、商売人として(そしてスパイとして)ソ連にわたり、ソ連GRUのメンバーで2重スパイの「オレグ・ペンコフスキー大佐」と落ち合う。この一回だけの約束だったが、キューバ危機の加速は止まらず、ウィンは悩みに悩んだ上で、何度もソ連に渡航し、情報を運び、そして。
旋盤売りのイギリス商人の素人スパイが、核兵器の発射の間際でCIA,MI6,KGB,そしてGRUに翻弄され、何を売り、何を売らなかったのか。
(クーリエはフランス語で「急便」)
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スパイは嘘に嘘を重ね、家族には何も話せず、いざとなったら捨てられる。スパイがかっこいいというイメージがあるのななぜだろう。この映画のように人情(任侠)厚く扱われれば物語になるが、特に戦時中のスパイの一般的な扱いは最初から最後まで秘密裏のまま、無かったことになるだろう。ファクトチェックのあり得ない世界。
冷戦時代のCIAやKGBが相手国で拘束されれば、拷問され、戦術カードに使われて使われる。残酷ながら戦時中ならこれがスタンダードだと思う。戦争は極端な状況ではあるし、比較できないけども、情報通を気取っていると今の生活の中でも足元をすくわれることは多々あると思う。自分に対しても強い戒めになった。
私は平和ボケしてしまっているので、突然スパイになりませんか?みたいなオファーがあったらダッシュで逃げると思う。この映画ではしかも、アメリカとソ連の直接的な問題に、第三者であるイギリス人が命を張ったのだから想像を絶する。
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バレエを観て二人が感激するシーンは、状況や立場を超えて串刺しに感動を共有し、お互いの顔を確かめ合う表情に友情の決定的な深さを見せしめるとても良い演出だったと思います。
観劇後に、つり橋効果とも言うべきドキドキに紛れて(映画だから当然だが)脚色があることを再認識して、冷静さを持つことは必要だ。これは重要。
特に、この映画の視点はCIAとMI6にあって、こちらのスパイは手厚く保護するが、相手側の(2重スパイ)は「保護しようとしたけどだめだった」のような表現があったので、逆に私は不安になりました。多分そんなに優しい世界じゃない。
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私が映画をのほほんと観れる今日があることに感謝すべきは何処なんだろう。きれいなことばかりではない、過去に命を掛けてくれた人々について想う。