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童年往事 時の流れのgenarowlandsのレビュー・感想・評価

童年往事 時の流れ(1985年製作の映画)
4.4
家族とは何か。

少年の目を通して見た、大陸から台湾に移住してきた家族のファミリーヒストリー。小説のように濃厚で繊細だった。

候孝賢監督らしく淡々と日々を描いているのだけれど、観る者の記憶を掘り起こし、あの時に慟哭した思いや部屋の匂い、力抜けて立てなかったこと、瞬間に沸き上がった激情と虚脱の日々を思い出された。悲しみとも怒りとも違う、身体の一部を失いバランスを欠いたかのような体験が蘇る。

他人から見たらありふれた家族の死でも、自分の身体は薄ぺらくなり、肉体の重みを失うことでもある。

候監督の素晴らしさは表す感情に嘘がないことだ。家族への思いは複雑である。例えば祖母。自分を愛してくれた祖母(家族)の愛情は重いほど迷惑な時もあれば、自分だけが愛されたい、独占したい気持ちにもなれば、それを繋ぎとめるために何かを返したり、それも不要なくらい特別に近い関係で、祖母が故郷に戻りたい寂しさを受け止める時は同じ思いの同士のようにもなり、老いて町を彷徨う祖母を責めることもない。祖母は少年を思い、少年は祖母に寄り添う。たどり着けない哀しみを一緒に背負っている祖母の存在は重い。祖母が旅立つ時、少年は後悔と引き換えに身体が軽くなる。言葉に出来ないそれらの思いを美化せずに淡々と描いている。

病んでいる家族に対しても同様である。病人の家族がいる家庭では看護が生活の一部となる。私ごとだが、私も少年の家のように、生まれてからずっと家族達が病人だったのでこの思いは自分のことのようにわかる。家族は病人達の手足となり、家族達は切り離せない一つになる。まさに「身内」「肉親」である。自分と切り離せない特別な関係をよくもこううまく表したものだと思った。


家族も暮らしも町も、時を経て少しずつ変わっていくが(描写が細やかであり、変化を探すのが楽しい)、家の近くの、道の真ん中にどっしり構えている大木は変わらずに少年を見つめている。故郷とはいえない大陸よりも、肺病で近づけない父親よりも、少年にとっては安心を与えてくれる重厚な存在だったのではないだろうか。

小津安二郎とはまた違う、家族の本音にもう一歩踏み込んだ(移住でなくても、家族に病人がいなくても)普遍的な家族の物語に私には感じられた。候孝賢監督の自伝的傑作と呼ばれる所以がわかった。
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