湯呑

アスの湯呑のレビュー・感想・評価

アス(2019年製作の映画)
4.0
ニューヨークの地下深く、幾重にも張り巡らされた下水道や廃棄された地下鉄のトンネルには、様々な理由から地上に住む事を拒否した人々が生活しており、その数は数千人にも及ぶという―
1990年代、ニューヨークタイムズの女性実習記者、ジェニファー・トスが決死の取材によって明かしたこの事実は、人々に大きな衝撃を与えた。そのルポルタージュは『モグラびと』という題名で日本でも翻訳出版されたので覚えている人もいるだろう。私たちが安寧な生活を営むその足下で、家族や財産を失った(あるいは捨てた)人々が暮らしている。それは、私たちを不安な気持ちにさせずにはおかない。いつか、自分も地下の世界へ堕ちてしまうのではないか。あるいは、地下に住む人々が地上に復讐しにやって来るのではないか―
こうした恐怖は映画の恰好のネタになる。クリストファー・ノーラン『ダークナイトライジング』のヴィランは、まさに地下からやってきた復讐者だった。ロン・ハワード『身代金』の誘拐犯も自身を地下世界の住人になぞらえていた筈だ。有色人種でも共産主義者でも何でもいい、私たちは自分とは違う「何か」をモンスターに仕立てあげ、様々な物語を作り続けてきたのである。もちろん、ハリウッドがそうした物語の最大の供給元であった事は疑うべくもない。
ジョーダン・ピールの前作『ゲット・アウト』は、人々の排外主義的な心性をモンスターとして描いた、逆説的な傑作だった。時流にも乗ってアカデミー脚本賞まで獲得した後の新作が本作である。そのプレッシャーは並大抵のものではなかっただろうが、ジョーダン・ピールは再度ホラー映画のフォーマットを選択した。古典的なドッペルゲンガー譚をモチーフに、侵略SF的な要素を盛り込んでいる。
本作に登場するモンスターは、私たちが心の奥底に抱いている疚しさを体現した存在である。自分が今の暮らしを享受できているのは、誰かを犠牲にしたおかげではないのか。資本主義社会が公平な競争の結果として受け入れている不均衡を、神は許したもうのだろうか?その罪悪感を拭おうと、人は口先だけの「連帯」や「融和」を唱える。自分の生活に影響が無い程度に寄付をし、貧しき者に救いの手を差し伸べる。本作のエンディング、赤い服を着た人々が手を繋ぎどこまでも続いていくイメージは、とうの昔に否定した共産主義の記憶を喚起させつつ、それでもやはり私たちの似姿なのだ。
単純明快な『ゲット・アウト』に比べるとテーマはより掘り下げられ複雑になっている本作だが、その反面、ジャンル映画的な興奮には欠けるのが残念だった。また、最後のどんでん返しも含め、既視感のあるプロットやイメージがテーマの奥深さを阻害しているのは否めない。とはいえ、今後も注目すべき映画作家である事は間違いないだろう。
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