静かな鳥

宮本から君への静かな鳥のレビュー・感想・評価

宮本から君へ(2019年製作の映画)
4.0
生きている。
スクリーンの中で、憎み合い、愛し合い、ぶつかり合う男と女。ギリギリまで身も心もすり減らし、今にも倒れてしまうのではないか、というほどの目まぐるしい熱量と勢い。生身の人間が生きている、という確かな実感がそこにはある。彼らは、ただただ懸命に生きようとしている。周囲に白い目で見られようが、道ゆく人に素知らぬ顔で眺められようが、関係ない。安直な共感などもいらない。どんなに無様な姿を晒そうと、生ききってやるんだ、この時代を。

漫画家・新井英樹といえば、昨年の『愛しのアイリーン』映画化が記憶に新しい。彼が90年代前半に書き上げたのが『宮本から君へ』。『アイリーン』と同様昨年に連続ドラマ化され、同キャスト・監督が再集結しての映画化となった。ドラマ版は、主に宮本(池松壮亮)が営業マンとして奮闘し成長する姿を描く「仕事編」とも言うべき内容だったが、対する映画版は、原作の後半部分にあたる宮本と靖子(蒼井優)の壮絶な恋模様に焦点を当てている。
ドラマ版と映画版に密接な繋がりは皆無だが、ドラマ版の物語を踏まえた上での本作であるのは間違いない。あの時に身の程を知り、悔しさを噛み締めた宮本だからこそ、今回の映画版で大勝負に挑もうとする彼の身を削るような想いがありありと理解できる。この闘いだけは、絶対に負けられないのだ。

池松壮亮と蒼井優。彼ら以外に、誰がこの役を演じられようか。簡単には言葉にできないほどの凄まじさ。池松は、1シーン1シーン毎に、ありったけの力を使い果たしているかの如く強烈なエネルギーを放つ。汗と涙と血と唾でぐちゃぐちゃになった顔。米粒と勃起に苦笑する。そんな彼と刺し違える覚悟すら感じさせる蒼井の絶対的な存在感。特に、事件翌日の公園でのシーンにおける彼女の表情と振り絞った声は忘れがたい。
また、その二人の前に立ちはだかる"怪物"・拓馬を演じた一ノ瀬ワタルの恐ろしき巨躯よ。まるで岩のよう。自分にとって一ノ瀬といえばドラマ『獣になれない私たち』の"岡持くん"なんですが、そのイメージを見事に一新させられた。まぁ彼自身のもつ愛嬌が、時折薄く滲み出ちゃってる感じはしたがそれはそれで悪くなかったかな、と。そして、この日本社会に未だ蔓延る悪しき体育会系精神に毒された"拓馬の父"を演ずるピエール瀧の安定感! 佐藤二朗がジトっと醸す気持ち悪さも頗る良い。こういう役柄の彼をもっと見たいんだよ。瀧と佐藤が、揃って横並びに映っているのもなんだか新鮮。井浦新もめちゃくちゃ楽しそうに演じていて何より。

固く握り締められた拳、鈍く重い殴打音、地面に吐き捨てられる血の混じった唾。真利子哲也監督渾身のバイオレンス描写が随所で炸裂する。クライマックスの非常階段のくだりも本当にどうかしている。途中から、一周回って笑えてくるあたりがいい。『ミスミソウ』『きみの鳥はうたえる』の四宮秀俊による撮影で切り取られたブルーアワーや夜の画面も美しい(ちなみに、ドラマ版の撮影を担当していたのは黒沢清組の芦澤明子という豪華っぷり)。

宮本の果たそうとする復讐は、どこまでも身勝手なものでしかない。あの時、何もしなかった(出来なかった)怒りや罪悪感にのたうち回る彼が、猛り出す心を抑えきれず、何もかもを暴力で解決しようと立ち上がる様には非常に未熟さを覚える。靖子の言うように、彼が決着をつけたい訳は元を辿れば結局「自分のため」だ。終盤、自己満足に酔いしれ靖子に思いの丈をぶつける宮本の言葉の数々も、前時代的でエゴにまみれた青臭いものばかり(この辺りの"居心地の悪さ"は作り手側も承知済みなのだと思う)。
でも、そこまでして宮本が闘いに挑まなければならなかった所以は、拓馬との対峙が(冒頭に提示される"鏡"からも明らかだが)宮本自身が抱える弱さとの対峙でもあるからだ。己の中にある暴力性と未熟さを肥大化させた存在としての拓馬。彼との闘いにカタをつけることで、ようやく宮本自身も腹を据えることができる。父親になることができる。その過程があまりにみっともなかろうと、痛々しかろうと、やるしかない、勝つしかない。そこには世間一般の正論など入る余地もない。不器用すぎる彼はこうやってしか生きられないのだ。

愚かしくも美しい生き様。宮本は絶えずがむしゃらに突っ走る。我儘に生きる、ということ。死に物狂いで生き抜く、ということ。爆音で流れる最高の主題歌(さすが宮本浩次!!)と、ドラマ版に引き続き佐内正史が撮り下ろした"薔薇色の人生"のスチールで彩られたエンドロールのなんとカッコいいことか。
宮本から、君へ。靖子から、君へ。スクリーンを超えて伝わる台風みたいに猛烈な激情に全てを持っていかれる。本作は、そんな映画だ。
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