LalaーMukuーMerry

宮本から君へのLalaーMukuーMerryのレビュー・感想・評価

宮本から君へ(2019年製作の映画)
4.2
宮本(=池松壮亮)の熱すぎるキャラ、蒼井優の「体を張りすぎでは?」とも思える熱演。かなりビックリな内容の映画でした。
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(感想その1) 絶叫シーン
日本映画の特徴と言えるかもしれないこと(原作が漫画ということも関係しているのかも)それは絶叫調の会話の演出。ストレートな感情表現ともいえるのだけど、観客としては(わたしとしては)無理やり納得させられた感が強い。外国映画では、この映画のような(鼻水や血をたらしながらの)絶叫調のやり取りはあまり見ない気がする。日本人の特徴なのか? それとも日本語の特徴からくるものなのか? よくわからない。
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この映画表現は、海外に通用しないのではなかろうか。現実には、絶叫するメンタリティでは、相手(の考え)を変えることはできないし、問題解決にもつながらない、そもそも絶叫する方が負けだ。(その負けをわかっていながら敢えて絶叫を選ぶ人間を応援したくなるメンタリティが、日本人にはあるのかもしれない)
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(感想その2) 性暴力の扱いから思うこと
平成のはじめ頃の原作か、ナルホドそれなら何となくわかる。理不尽な悪や性暴力。社会はもともと理不尽なもの、それを知って(見て見ぬふりをして)当たり障りなく生きていく、それが “大人”だ、という暗黙の了解。 この理不尽に納得できない正直な者(悪く言えばKYな者)は、宮本のようにボロボロになることを覚悟して抵抗するしかない。 熱すぎる宮本は、クズ男のラガーマン(ラグビー関係者から抗議が来そう)になんとか仇討ちをはたし、彼女との関係を持ち直したのだが、こんな行動は普通できません。
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どう対応するのかは個人にとって確かに大切だが、何故こんなことになったのか?の問いの方が大切なこともある。こんなクズ男(ラガーマン)が生まれた背景は社会にある。もっと言えば教育現場でタブーにされ何も教えてこなかった、日本独特の伝統的「性教育」にあると言ってよいだろう。個人(相手)を尊重することは対人関係の基本、それはセックスでも同じ。力の強い者の欲望だけでことが行われてはいけない。でも、性暴力被害にあった女性に、スキを見せた自分が悪かった、と思いこませようとする、そんな圧力を無自覚にかけるクズな大人の男を作り続けてきた日本の性教育に欠陥があったのではないですか?
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医学・生物学的なこと(体の発達・性、セックス、避妊へのアクセス、妊娠経過、堕胎、出産、遺伝・病気・・・)だけでなく、人間関係に関すること(恋愛、出会いと別れ、夫婦の関係、親子の関係、家族)、人生に関すること(子育て、家族計画、経済的自立、将来の夢)、社会や権利に関すること(結婚・離婚、子どもの権利、DV・性暴力、ジェンダー平等、性的マイノリティの権利)等々、セックスは真面目に考えれば考えるほど、いろいろな側面と密接につながった、誰にとっても身近で大切な事柄だ。こんなに大切なことを子供たちに教えないでどうする? 自由で民主的な社会(日本はそういう国だと信じています、怪しいところもありますが)の中であるべき個人の姿、自分の判断で生きていく自立した個人を作るために(自分を守り、自分を豊かにする権利を自覚するために)、ふさわしい性教育のあり方はどんなものなのか、自ずと定まってくるのではなかろうか。
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にもかかわらず、性教育とは「エロ・コンテンツ」ぐらいにしか思ってない年寄り男性国会議員が多いから、「性教育」なんてとんでもない、ということになっている。世界各国の性教育の教科書を少しは参考にした方がいい。日本はメチャクチャ遅れてしまっているという現実を、多くの人が知るべきです。その気づきが新たなムーブメントをつくることを期待したい。そういう動きは、若い議員とりわけ女性議員が増えるきっかけになるでしょう。そうして初めて日本は変われるのだと思います。(年寄りの男性総理が、「女性が輝く社会の実現」などと一見気の利いた目標を掲げている間は、前進するはずがありません)
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またまた、かなりの脱線・・・スミマセン