青山祐介

魔笛の青山祐介のレビュー・感想・評価

魔笛(1974年製作の映画)
4.5
『愛の力、愛による成就、これこそがこのオペラのアリアドネの赤い糸である…ここで、わたしたちは初めて”魔笛”の寓意と存在理由を、突然に思い出させられる。』
(イングマール・ベルイマン「演出ノート」より)

イングマール・ベルイマン「魔笛」1975年スウエーデン映画

「魔笛」は1975年のスウエーデン放送協会創立75周年記念に制作されたテレビ映画です。ベルイマンは、幼い頃からの夢であったモーツアルトの「魔笛」の映画化をこの機会にようやく実現することができました。「魔笛」のもつ魅力が彼の心を捉えて離さなかったのです。
1968年の映画「狼の時間」の中にも人形劇「魔笛」の興味深い場面がありました。「魔笛」は演劇人ベルイマンの念願の演出であったのでしょう。
ベルイマンの「演出ノート」をみると、この作品に対する彼の思い入れが伝わってきます。
演出ノート:『魔笛が演じられる場所は…この作品の起源に立ち帰ってその解答を見出だすべきである』
ベルイマンの解答は、魔笛を「本来の姿」で描くことにありました(フリーメイスンの思想は排除していますが)。そのためでしょうか、18世紀にタイムスリップし、実際にシカネーダの劇場にいるような、また天井桟敷から実際に舞台を観ているような気分になります。
ケネス・ブラナーの映画「魔笛(2006年)」は、第一次世界大戦の塹壕を舞台に、戦争と平和という壮大なスケールの中で、生と死と愛を謳います。サイモン・ラトル指揮、ロバート・カーセン演出の歌劇「魔笛(2013年)」は、現代演劇によるギリシャ悲劇かハムレットの墓掘り道化の場面を観ているようで、これらはもはやベルイマンの考える「魔笛」の世界とは遠く隔たっています。
演出ノート:『魔笛の台本がどうしてこんなにも筋の一貫しないものになったのか(その成立事情は別にしても)この一貫性のなさは…この作品の魅力の一部なのである』
魔笛には「詩とお伽噺と夢がいっぱい(演出ノート)」つまっています。すべてが「見世物」だからなのです。筋の一貫した夢などありません。三人童子、三人の侍女がその良い例です。
演出ノート:『これまでわたしが見て来た限りでは、パパゲーノはいつでも、この作品の難関であった』
パパゲーノのキャラクターをどうするのか。コメディア・デラルテのように、場面によって仮面を被せるのも一興ですが、彼は道化役者なのか、トリックスターなのか、扮装や化粧をどうするのか、シカネーダだったらどう演ずるのか、彼の扮するパパゲーノをぜひ観てみたいと思います。現在のいずれの作品においても、パパゲーノは何となく居心地が悪いように感じてしまいます。
演出ノート:『わたしはいつも夜の女王のことを哀れに思って来た…彼女は美しいし、成熟していて、哀れっぽく、そして女ならではの手管を広い音域にわたって弄ぶ(コロラトウーラ・ソプラノにはしびれます)』
「すべてのオペラの中でも最も素晴らしい」魔笛…モーツアルトが創造した「女性の音楽的肖像画」である魔笛…夜の女王、パミーナ、パパゲーナ(女性蔑視の部分があるといわれていますが) …それは、男と女のエロスのお伽噺だからなのです。
『何よりも貴いものは、男と女の愛。何よりも気高いものは、男と女の愛。愛がめざす深遠な的が、そのことを示している。
男と女、女と男・・・・・・・
ああ、男と女の愛は神性にまで至る…』(パミーナ、パパゲーノの二重唱)