ばろん

劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzerのばろんのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

まさに「平成」の終止符。

「平成仮面ライダー」という我々ファンの間から生まれた俗称がいつしか公式的にそう扱われるようになったというのは有名なエピソード。

それくらい「クウガ」から始まった「新仮面ライダー」(ここではクウガ以前の仮面ライダーと区別するため便宜的にそう記す)の19年にも及ぶシリーズは我々の生きる時代そのものと切っても切り離せないものになってしまっていた。今作では、そんな「平成仮面ライダー」とはなんだったのか、果てには「平成」とはなんだったのかを問うテーマだった。

まず前半の「信長パート」。仮面ライダードライブの産みの親、クリムスタインベルトの祖先を守るため、16世紀の過去へとタイムジャンプする。「魔王」と謳われ、数々の武勇伝が残る偉人・織田信長を引き合いに「歴史上の起こった出来事や物語は事実とは異なるのかもしれない」という、後半の常盤ソウゴの真実における布石を置く流れは面白いと思った。ゲイツによる影武者云々もしかり。レジェンド・詩島剛こと仮面ライダーマッハの復活に湧きつつ、信長の飄々とした人となりで物語全体のコメディカルな雰囲気に知らぬ間に入って行く。

晴れてドライブウォッチを継承したソウゴ。そして物語は後半「クォーツァーパート」へと突入する。

ここで明かされるウォズの正体と常盤ソウゴの衝撃事実。歴史の管理者・クォーツァーによる「平成」の再構築。唯一無二の「平成ライダー」を「ジオウ」という存在によって、大きな一つのカテゴリに収め力を掌握するというストーリーは膝を打ったし、ソウゴが今まで懸命にライドウォッチを集めて行く様が一瞬で影を帯びて行く様が面白かった。

残酷な現実を前に呆然とするソウゴ。しかしそこに現れたのはまさかの木梨猛だった。いや、可笑しいでしょ笑

私は世代的にも「仮面ノリダー」を見たことがないので細かいことはよくわからないのだが、この男の存在によってソウゴは平成ライダーとしての自覚と覚悟を再度認識することとなる。

「お前は選ばれたんだ。」

コメディテイストながらも筋の通った話。歴史が産み出す禁断のコラボ。流石と言ったところだ。

確かに平成仮面ライダーは雑多で醜いかもしれない。凸凹かもしれない。でもその凸凹なところが平成ライダーなんだと。平成仮面ライダーは生ものだと良く言われる。1年ごとに新しい作品が生まれ、見た目も世界観もまるで違うヒーローが次々と世に送り出される。リアルタイムで制作が行われ、同時に次回作の企画も進行して行く。テレビ本編のみならず映画やOVA、小説、漫画に舞台まで、枠に囚われないやり方で常に我々を魅了してきた。「平成仮面ライダー」はもはや「仮面ライダー」ではないのだ。「平成」というめまぐるしいスピードで成長、発展して行く時代に、とにかく今できることを懸命にやる。「クウガ」から「ジオウ」までの20作品を19年間一瞬も休まずに走り続けた事実そのものなのだ。だから凸凹だっていい。いいも悪いも含めてそれが「平成仮面ライダー」の良さなんだと。

実にこの映画そのものが、「平成仮面ライダー」を体現していると思う。次々に登場する平成仮面ライダー達。ライダーブレンにゴライダー、カチドキ斬月、G、さらには漫画の世界を飛び出したクウガまで参戦したのは拍手するしかない。ラスト、バールクスに向かって走るタイトルロゴ。突き抜けたシールドには大きな「平成」の2文字。誰がこんなカオス表現ができるだろうか。正直この辺りはもう燃えるとか興奮するとかよりも、よくこんなものが映画として流せたなという称賛に近い感情が渦巻いていた。

仮面ライダーというヒーローはいつしか「ヒーロー」という単純な枠には収まれない、混沌とした一つのコンテンツにまで成長してしまった。平成の終わりと共に幕を閉じる平成仮面ライダーシリーズ。そして続く令和仮面ライダー1号・ゼロワン。この先に続く歴史のページは果たしてどんなものだろうか。歴史の管理者ではなく、歴史の目撃者として、これからも彼らの勇姿を応援していきたいと思う。
ばろん

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