このレビューはネタバレを含みます
「ヒロシマ」の物語ではなく、僕たちにとってなじみ深い「広島」の物語。
ぶっ飛び過ぎず、随所にリアルさとファンタジックな微笑ましさが程よく入り混じる展開。
お母さんに反抗しながらも、おばあちゃんの家に突然現れた森口瑤子からそっとサンドイッチを差し出されてそのまま食べ始める武藤十夢も。
サービスエリアで超絶技巧を駆使するポセイドン石川が、「いい加減にせんかい」と佐野史郎にたしなめられて素直に謝ってしまうところも。
なんだか好き、と思わされる。
クライマックスの演奏会の展開も、やっぱりどこかリアル。
練習で完成させたように思えた悲愴も、結局は弾ききることはできずお母さんが寄り添いながら弾いてしまうというのはこれはこれでびっくりする。
ピアノは、弦楽器や管楽器と違って「自分の楽器」を持ち歩けないのは本当に口惜しいという楽器なのだよね。練習で手に馴染んだ楽器と違うものを本番で使わないといけない。
そして、お母さんはひそかに悲愴を練習していたんだろうか? でも昔何度も弾いた曲は、歳を取っても意外と指が覚えているという事実も確かにある。
ちょっと脚本が説明調過ぎるところも多いとは感じた。
お母さんが兄の死について語り始めるのも、ちょっと唐突だろうか。物心がついていなかったなりに記憶にある、兄の思い出を1つ2つ語るということがあって欲しかった。
あれから75年。
時にあの夏に思いを馳せることはやっぱり日本人としての責務の一つなのかも知れないけれど、あまりにも凄惨さを強調され過ぎる物語をいくつも受けとめるのにも正直きついものはある。
なので近ごろはこうした「普通の人たちが普通に暮らしていたあの町」の物語が多くなってきているように思えるのは、「この世界の片隅に」の時にも感じたけれど良いことだなと思う。