ヨーク

ロード・オブ・カオスのヨークのレビュー・感想・評価

ロード・オブ・カオス(2018年製作の映画)
3.9
メタルにはとんと疎くてTSUTAYAの棚に並んでるようなドメジャーなやつしか聞いたことはないんですが本作で取り上げられるメイヘムは知っていましたし、バンド名や楽曲だけでなくメイヘムを巡るあれやこれやのエピソードもざっくりとは知っていた。なのでまぁストーリーの大体の展開も最後どうなるかもあらかじめ知っていたってことですね。大体そんな感じで本作を観たというわけです。
メタルにはそんなに詳しくはないのだが、まぁその理由として一つあるのはメタル(元来のジャンルとしてのヘヴィメタル)というのはジャンルが多岐にわたり過ぎで何が何やら分かんねぇよというのがある。元々ハードロックから派生したそうだがそこからデスだったりグラインドだったりスラッシュだったりブラックだったりシンフォニックだったりインダストリアルだったりゴシックだったりと枚挙に暇がないほどの区分があってお前ら何が違うんだよ! って感じになるのだが分かる人には分かるのだろうか。
ちなみに本作で取り上げられるメイヘムはブラックメタルのジャンルで大きな足跡を残したバンドである。ブラックメタルは特徴としては反キリスト的な悪魔崇拝や黒魔術的雰囲気とコープスペイントのようなビジュアルで、音楽的には高速ドラムとディストーションの強いギターやお馴染みのデスボイスっぽいボーカルだろうか。メイヘムも大体そんな感じのバンドだったと思う。あと歌詞はやっぱ陰鬱で後ろ向きな感じで殺人や強姦とかを思わせるようなものが多い印象ですかね。
まぁそういう感じのバンドとそのバンドに起きた事件の映画ですよ。主人公はマコーレ・カルキンの弟、ロリー・カルキン演じるメイヘムの中心人物であるユーロニモス。彼がノルウェーのメタル界隈で頭角を現しブラックメタルというジャンルに影響を与えるまでになる過程と、その周囲で起こった人間関係のお話です。一応映画の最初には「事実を基にしたフィクションである」というテロップが出る。そこ結構重要で、かなり物語としてアレンジされてるんだろうなとは思いましたね。
具体的な感想の前に書いておきたいことがあるんだけど本作を観ながら思い出したことがあって、20歳くらいの頃にたまに飲みに行く女友達で椎名林檎が大好きな娘がいたんですよ。彼女は今でいうならメンがヘラってるような女の子で家出同然で上京していて、バンドやりたいと言った翌日にはイラストレーターになりたいとか言ってるようないい加減さで、飲みに行くときも待ち合わせに来た時点ですでに酔っ払ってるような奴だった。そんな彼女がある日「椎名林檎はもうダメだ、これからはCoccoだ」って言い出して、理由を聞いてみたら椎名林檎はプロレスだけどCoccoはガチだからっていうことだったんですよ。要するに椎名林檎はメンヘラの共感を得るために敢えてそういうスタイルでやっているだけだがCoccoにはそういう打算がなくガチでメンがヘラっている我々に福音を与えてくれる存在なのだということらしい。いや実際にどうなのかは知らないが(俺は椎名林檎もCoccoも好きですが)少なくとも彼女には両者はそういう風に映ったわけだ。
この『ロード・オブ・カオス』という映画を観ながらめっちゃそのことを思い出しましたね。というのも本作で描かれる(テロップで念押しされるようにあくまでもフィクションとしての)主人公のユーロニモスという人は俺の昔の友人が言うところの椎名林檎っぽいんですよ。事実通りにユーロニモスはブラックメタルという界隈に影響を与えた人物として描かれるのだが、彼はブラックメタルというジャンルは単なる武器として使っていただけで反キリストやら悪魔崇拝なんていう要素も演出としての飾りだと思ってたんじゃないかなという節があるんですよね。だって映画の導入で描かれる彼の姿はバンドの練習しながらも妹と軽口叩き合うようなどこにでもいるような音楽青年なんですよ。実際のユーロニモスがどうだったのかは別にしても少なくとも本作の作中では彼は常識的な音楽青年なんだけどブラックメタルというジャンルの中でそれなりの位置に居座るためにそれっぽいキャラを演じていたという風に描かれていると思いますね。もちろん健全な社会の中では居場所がなくて辿り着いた場所がメタルというジャンルだったというのはあると思うんだけど、彼は多分そのことに対してかなり自覚的だったと思いますよ。
そんな風にある種のロールを演じるユーロニモスなんだけど、そういうキャラでやっていると周囲にはガチな人が集まってくるし、そのガチな人たちはユーロニモスにもっと過激なパフォーマンスを要求していくわけだ。そしてそれはいつしか要求するだけでなく自分たちがユーロニモスよりもっと凄いことをしてやろう、これからは俺たちが先頭に立つんだってなことになっていく。本作ではそれがどんどんエスカレートしていく様が切なく滑稽に描かれていて大変面白かったですね。ユーロニモスに憧れて彼に接触してくる者が、ある意味ファッションとしてのブラックメタラーであるユーロニモスと違ってガチの人だったりする。そしてそんな彼がユーロニモスに消えない傷痕を残すし、また新たにやってきた者は思っていたよりも俗物なユーロニモスに反発心を抱いてどんどんそれが憎悪へと変わっていったりするんですよね。そこの互いの心情のすれ違いが笑っちゃうんだけど物悲しいって感じで青春音楽映画として非常にいい味を出していました。
そして元はユーロニモスのフォロワーだった者がとる彼に対抗するような行動も源泉にあるのは実に幼稚な動機であって、いうならば中学生くらいの男子社会にあるような「一番すごいことをしたやつがえらい」みたいなしょうもないノリなんですよ。まさに悪ノリとしかいいようがないものです。でもそれがどんどんと取り返しのつかないことになっていって、それに比例するように彼らの、本来はブラックメタルという音楽を通じて連帯していたはずの心情もバラバラに離れていってしまうんですよね。それはいわゆるホモソ的なノリでもあり、本来ならば学校だったり社会の中でのそういうホモソな雰囲気に嫌気が差したり順応できなくてそこから弾かれた者たちがメタルという音楽ジャンルの中で出会ったはずなのに、やっぱそのメタル界隈の中でもお互いに虚勢を張り合って相互理解ができない悲しさや可笑しさがあるという、そんな皮肉も描かれている映画だよなって思います。ユーロニモスが常識人であることを示すために冒頭に出てきた彼の妹が、ラスト近くに窓の外を見つめながら世間のイメージとは違う自分の知る兄を思い出していたであろうシーンはとても情感を感じて良かったです。
またオタクとメタルは親和性が高いと言われるように、ブラックメタルというジャンル自体もそういう陰気な者たちに向けられたある種の希望のような部分はあると思うんだけれど、商売としてはそういう日陰者を養分にしてしまう因果な面もあるというところもあるんじゃないかな。昔の椎名林檎でもブラックメタルでもいいけれど、精神が不安定な若者を対象にしてそういう層にウケるような作品を意図的に送り出すとなればそれはそういった人間を食い物にする行為であるとも言えるのだから。でもそれが受け手側にとっては救いになることもあるのだから実に因果な商売だとも思いますが。
かつての飲み友達だった彼女はCoccoに救いを感じた後にどうなったのだろうか。Coccoが活動休止した後はまた別の何かを見つけたのだろうか。Coccoが復活した後は素直に受け入れることができたのだろうか。また今現在の椎名林檎に対してはどう思ってるんだろうか。そもそも彼女は今でも元気だろうか。とかそんなこと思いましたね。まぁ多分二度と会わないんだろうけど。
そんな風にしてブラックメタルの創世記を描いた青春映画は俺の個人的な若い頃にも繋がっていたのでした。面白かったです。
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