なかなか言葉にできないぐるぐるがあって、しばらく書けなかった作品。
不思議な感覚を持つ孤独な女性が、自分が何者かを見つけるお話。
…なんだけれど、私は途中で彼女が自分のルーツを知る=カテゴライズされた瞬間、ちょっとほっとしてしまったのですよね。
彼女(と彼)の、人とは違う感覚とか、容姿とか、そういうものが枠にはめられた瞬間安心したことにすごく自己嫌悪に陥って、その後はぼーっと流し見てしまいました。
自分の理解の範疇を越える人に対して言葉で定義して安心しようとするなんて、差別意識の塊じゃないか!と自分が嫌になります。
そして、例えばこの異端な二人が、『シザーハンズ』のジョニデのような姿だったら?『美女と野獣』のビーストだったら?『もののけ姫』のサンだったら?
そうであったら彼らが何者であってもさほど気にならなかったと思うのです。
彼らはもっとファンタジックで漫画的で、明確に「自分とは違う存在」だから。
要は、本作において自分にすごく近しい姿をしているのに自分と決定的に違う何かがあることにものすごい嫌悪してしまったのですよね。
それってすごく恐ろしい考え方。
「美醜なんか関係ない」
「醜さの中の自然な美しさ」
なんて口が裂けても言えない。
私は美しいものが好きだし、美醜は気にしてしまう。
それは、醜い自分が好きじゃないから。
性行為についてやモザイクなしでこんにちはするものに対しては特になんの違和感もなかったです。
土を触ってると落ち着く感じや川の中が心地好い場所なのはすごく共感しました。
私も水のなかでずっと揺蕩っていたい。
この自分の意識のショックで、この映画が冗長で退屈だったのか不安と緊張感がすごく興味をそそったのかもわからなくなってしまいました。評価できない。私にはその権利もない。
「曇りなき眼で見定め、決める」
北欧の自然豊かな映像を見ながら、アシタカの言葉には程遠い自分をただ恥じるばかりでした。