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ある船頭の話のumisodachiのレビュー・感想・評価

ある船頭の話(2019年製作の映画)
3.9
オダギリジョー初監督作品。クリストファー・ドイルが撮影監督、ワダエミが衣装デザインと、豪華絢爛なスタッフ陣がサポートに回る。

ときも場所もよくわからない日本のどこか。川の手前の村に住むトイチは、川を挟んだ向こうの町に渡す船を漕いで生活していた。家族はなく貧しかったが、村人との関係は良好。源三という若者はあれこれ世話を焼いてくれるし、村の人格者であるマタギの息子も親切にしてくれる。少し前から、川では大きい橋の建築工事が進んでいた。船頭の仕事がなくなるのでは?と心配する村人たちに、トイチは「仕方がないですから。便利になるのは良いことですから」と答える。ある日、いつものように船を漕いでいたら、少女が流れされてきたのを見つけ……。

とんでもなく美しい映画だった。どこにでもあるような、どこにもないような景色の中で、時間はゆっくりと進んでいく。毎日トイチの元をさまざまな客が訪れる。村人たち、横柄な工事関係者、町からやってきてくれる医者、数十年ぶりに村に帰ってきた老婦人……トイチは彼らと言葉を交わしながら、淡々と日々を生きている。

橋ができたら船を使う人はいなくなる。近代化の犠牲となることは明白だが、トイチは不安も怒りも心に閉じ込めている。トイチを演じる柄本明のもの言わぬ芝居が凄まじい。彼の秘められた葛藤は、ときおり幻影となってスクリーンに現れる。

「川と文明化」というモチーフから、私は『彷徨える河』を思い出した。現実と幻想が交じり合う世界観もどこか似ている。単純に文明化に警鐘を鳴らすのはたやすい。私たちは十分に文明化された世界にいて、川を渡るために大声で船頭を呼んだりしなくていいのだから。

「便利になったらこの人の仕事がなくなってしまうじゃないか」と言った人たちも、もう二度とトイチの船に乗ることはないだろう。それを無責任と糾弾することはできない。文明化のこちら側にいながら、古き良き文化を懐かしむ愉悦に浸り、古きものが失われていくと嘆いてみせる我々が、なぜ彼らを責めることができるだろう。

失われた文化を、暴力的な文明化をただ嘆いているのでなければ、本作が訴えるものは何なのだろうか。おそらく、明確なメッセージはないのだろう。ただ、トイチのような人間が「いた」ということだけを描いたのではないだろうか。

トイチは激しい怒りや悲しみの感情をぐっと胸に堪えた。川を流れてきた少女オフウは、トイチとは異なる怒りを静かに滾らせていた。年老いたマタギは、誰にも見られずにひっそりと葬られることを望んだ。失われるのは継承可能な文化だけではない。彼らのような無数の人間たちの声なき感情も、時代の流れの中で誰にも聞かれることなく消えていったのだ。その無音の叫びを掬い上げるような作品だと私は思った。

オフウに異国風の衣装を着せたり、メフィストフェレスのような少年を登場させたりした意味は正直よくわからない。特に、謎の少年については少し興醒めした。彼だけ妙に現代的でわざとらしく感じたからだ。トイチが隠している感情を見透かす存在だったのだろうか?

入れ替わり立ち代わり現れる船の客は、目を見張るほどの有名俳優ばかり。あっと驚くキャストが数分ずつ登場するという贅沢は、他ではなかなか味わえないだろう。とはいえ、お遊び的に出てくるわけではない。上手い役者ばかりなので、それぞれのシーンがしっかり立っている。映像美と同じように、存分に芝居の濃度を楽しめる作品だ。

また、ラストの画は思わず呆然としてしまうほど美しい。「息を飲むほど美しい」とは、あの映像のためにある言葉なんじゃないかと思うほどだ。しっかり観客に委ねてくれる世にも美しい作品。おすすめです。














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