タケオ

ゴーストバスターズ/アフターライフのタケオのレビュー・感想・評価

1.0
-吐き気を催す邪悪とはこのことだ!『ゴーストバスターズ/アフターライフ』(21年)-
 
 「よく聞かれるけど、僕は『ゴーストバスターズ』の続編を制作する気はないよ。最も退屈な作品になると思う。僕は小規模のパーソナルな作品をつくるのが好きなんだ。それに『ゴーストバスターズ』は父のものだしね」───2007年12月19日、MTVのインタビューでジェイソン・ライトマンは笑いながらそう答えていた。この時のライトマンは、まさか約14年後に自分が『ゴーストバスターズ』の続編を制作することになるとは夢にも思っていなかったことだろう。そして完成した本作『ゴーストバスターズ/アフターライフ』(21年)は、皮肉にも彼の言葉通り『ゴーストバスターズ』シリーズ史上最も退屈な作品となってしまった。
 「80年代リバイバル作品」を制作するうえで「同時代性」を打ち出すことは極めて重要である。「なぜ今それを制作する必要があるのか?」という意義を提示することができなければ、それは単なるノスタルジーの消費でしかないからだ。2016年のリブート版『ゴーストバスターズ』は、主要キャストを女性に交代したことでSNS上で苛烈なバックラッシュに晒されることとなった。しかし、女性を主役にするとバックラッシュが起きてしまうという状況そのものが、まさに「フェミニズム」をテーマとして強く打ち出したリブート版『ゴーストバスターズ』の意義を如実に物語っていたともいえるだろう。しかしながら、本作にはそういった同時代性がまるでない。「ファン」のノスタルジーを刺激すること以外に意義や目的がないため、オリジナリティや新たな挑戦といったものが一切皆無なのだ。「余計なリスクを犯すぐらいなら、皆が大好きな(と勝手に制作側が思い込んでいる)ものだけ詰め込んでおこう」という不快極まるマーケティング思考が画面の隅々から透けて見える。「ほら、80年代の雰囲気が懐かしいでしょ~」「ほら、皆はジュブナイルものが好きなんでしょ~」「ほら、あのキャラクターたちのサプライズ登場 嬉しいでしょ~」と制作陣にバカにされているとしか思えず、終始イライラとさせられた。終盤に至ってのお涙頂戴な展開にも首を捻らざるを得ない。そもそも『ゴーストバスターズ』シリーズはゆる~い「コメディ映画」だったはずなのだが、なぜ「感動作」として仕上げようと思ったのか理解に苦しむ。畳み掛けるような感動の押し売りにはほとほと辟易とさせらた。また、リブート版『ゴーストバスターズ』などまるで存在しなかったかのように振る舞い、本作こそが正当な続編だと白を切るソニー・ピクチャーズの無神経な態度にも本気で憤りを覚えた(近々発売予定の『ゴーストバスターズ アルティメットボックス』にも何故かリブート版だけが収録されておらず、各所で批判の声が上がっている)。「マスキュリスト,レイシスト,ミソジニスト、ヘイターたちから攻撃を受けた作品をオフィシャルになかったことにする」という行為が'一体どのようなメッセージを放ってしまうのか'ということに無自覚だというのなら、ソニー・ピクチャーズは2度と映画制作に携わるべきではない。恥を知れ。
 疑い用の余地なく、ここ数年の間に制作された「80年代リバイバル作品」の中で最も邪悪な1本だと断言できる本作。『ゴーストバスターズ/アフターライフ』は夢の都であったはずのハリウッドが、「金」のことばかり考えている性根の腐ったクズどもが跋扈する伏魔殿に成り果てたことを改めて証明した。そんな本作が「ファン」たちに「愛に満ちた作品」として受け取られている現状にも絶望を覚える。それに金と時間を費やした自分自身にもだ。資本主義の豚ども、地獄の業火に焼かれるがいい!
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