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閉鎖病棟ーそれぞれの朝ーのQTakaのレビュー・感想・評価

閉鎖病棟ーそれぞれの朝ー(2019年製作の映画)
4.3
どこで生きるのか。
だれと生きるのか。
居場所を求める物語。
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“生きる”という現実からこぼれ落ちてしまった人々。
そんな彼らの日常に、ほんの些細な出来事が響く。
そういう繊細な場面をいくつも積み上げながら、物語は進んで行く。
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舞台は精神科病棟。
題名にある『閉鎖病棟』。
それは、まさに人々から隔絶された別世界を連想させる。
そして、そこにある『生活』を想像することを拒否しているように思える。
あるいは、「生」の感触すら浮かばない。
果たして、この物語は、何を見せてくれるのか。
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描き出されたのは、人としての“生気”を失った姿だった。
一人は、死刑執行から生還した者。
一人は、軽度ではあるが、精神疾患の発症から、自ら家族との距離を置いた者。
そしてもう一人は、家族の中に居場所を失った者。
それぞれに、傷つき、彷徨う者達だった。
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先に精神科病棟に居た二人。
たびたび発作に襲われるチュウさん(綾野剛)。
その彼を、あるいは病棟のみんなをやさしく見守るようにいる秀丸さん(鶴瓶)。
その関係から始まる。
そこに、DVから母親に疎まれ病院へ送り込まれて来た由紀(小松菜奈)。
全くの他人同士の彼らの関係が、互いの関わり方が、少しずつ変化してくる。
スクリーンから目が離せない。
どの瞬間も、どの仕草も、どの視線も、一人ひとりの心の動きを表している。
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一人ひとりの間に見られる大切な瞬間。
発作を起こし、暴れたチュウさんが、個室に隔離される。
個室で、体の半分だけに差し込む陽の光。
チュウさんが抱えている影を思わせる。
秀丸さんが、水のペットボトルをそっとチュウさんに渡す。
それだけのシーンが、とても熱い思いを秘めている。
秀丸さんが、粘土を捏ねている。
焼き物を作っている。
物静かなその姿に、死刑囚の姿はない。
あるいは、その刑に繋がる、激情に駆られた殺人者の影はない。
由紀が粘土に触れた瞬間の言葉「冷たっ」。
このシーンひとつとっても、この映画が『生きている現実』を引き寄せる物語だったことがわかる。
秀丸さんの、由紀への思いやりと、この機会を与えることに優しさを感じる。
押しつけず、相手を尊重し、待ち続ける。
とてつもない包容力というのだろうか。
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連れ立って、街へ出る。
みんなで商店街を歩きながら、あっちの店こっちの店と。
カメラ店のショウウィンドウに引き寄せられる。
お菓子屋さんで、美味しそうなものを手に取る。
幸せの風景だ。
「みんなで外にでたら」と思いを馳せる会話がある。
“みんな”で暮らせたら。
そんな希望を口にするのも、生きるこに後ろ向きだった頃とは違う姿だった。
病棟が唯一の居場所という患者たちが、自ら居場所を求めるという思いを持つ。
公園で、みんなで食べるお弁当。
記念写真を撮る。
陽が当たったように、明るい場面だった。
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このみんなでの外出で、秀丸は、由紀に髪飾りをプレゼントする。
赤い髪飾り。
高価な物でもなく、特別な物でもないけど、秀丸から由紀への感謝の気持ちは、由紀が人と繋がるという実感を生むことになる。
自分が、ひとり孤独なのではないと、確かめられた瞬間だった。
映画の最終場面に、このプレゼントの意味を再確認する。
繋がりって、こういう普通のものから始まるのかもしれない。
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自分は、今、どこにいるのだろう?
自分は、今、誰といるのだろう?
自分は、これからどうするのだろう?
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物語は、一瞬の出来事で急展開する。
患者達に、三人に、戦慄が走る。
全てが悪い方に展開してしまう。
それぞれに分かれてしまう。
それで良いのか?
それだけだったのか?
そして、再び出会った時、培った繋がりの強さをそれぞれに確認することになる。
法廷で流した涙は、確かにそこに生きている姿であったし、未来へ生きようとする姿であった。
そして、立ち上がろうとするその姿の先に、どんな未来があるのだろう。
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本当の居場所、支え合う仲間、あるいはそれを「家族」というのかもしれないが、そういう大切な場所を探す物語であったことに気づく。
それは、あるいは、幻の家族の姿なのかもしれない。
この部分は、是枝監督の「万引き家族」にも似ている。
血の繋がりだけが“家族”ではない。
本当の居場所、支え合う人と人。
この映画は、そういう場所が大切なのだと告げている。
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魅力的なキャスト達に拍手。
綾野剛がイイ。
このなんとも格好の悪い姿が訴えるものは何か?
小松菜奈が、激しい役をしっかりと受け止めている。
影のある役、痛みを抱えた役柄は、この映画を支える支柱になっていた。
そして、鶴瓶さん。
冒頭から衝撃の場面が有り、メインキャストなのだけれど、ストーリーとしては生きる力を周りからもらっていく役柄。
演じた姿は、セリフにならない演技で、心の叫びを示していた。
他に、これでもか!と言う濃すぎるキャラクターの面々。
病棟の面々について原作者箒木蓮生さんが、舞台挨拶で述べていた。
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原作者帚木蓬生氏曰く、
小説を書く時に、精神科の患者さんを一人ひとり書き分けるというのが目的だった。
一人ひとりに個性があって、一人ひとりに悩みを抱えているというのを書き表すのが目的だったのだけども。
書くときは、モノクロでしか描けない、鉛筆だから。
映画では、役者さんたちそれを演じてくれますから。
本当に一人ひとりのキャラクターが立ち上がって来ているなぁと感じた。
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バイプレイヤー達の本領発揮というところだろうか。
確かに、あの病棟の一人ひとりは、それぞれに生きていたし、まさしく“一人ひとり”だった。
そういう一人ひとりを丁寧に追って行った映画なのだとわかる。
名優「駒木根」の本領が認められたか?
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