けんぼー

窮鼠はチーズの夢を見るのけんぼーのレビュー・感想・評価

窮鼠はチーズの夢を見る(2020年製作の映画)
3.8
2020年鑑賞132本目。
好きなのに理由なんてない。予想以上に純愛映画だった。

原作は全く知らなかったのですが、映画館の広告で気になったので鑑賞。
簡単に言えば同性愛を描いた、いわゆるBL系ではあるのだが、性表現は結構攻めてるし、最終的にはリアルな純愛映画を見たという印象。
特に男性同士の性行為についてはかなり攻めた方だと思う。主演がジャニーズの大倉忠義なのに。よくこれジャニーズタレントにやらせようと思ったなと、ちょっと感心。
しかし、すごいと思ったのは成田凌である。同性愛者の役を演じているのだが、その仕草や雰囲気がだんだん可愛く見えてきてしまう。すごかった。
成田凌演じるイマガセが主人公の大伴に投げかける言葉はどれも的を得ており、大伴のことをいかに考え、想ってきたかが伝わってくる。
そして、好きになるのに理由がいるのか?という疑問がこの作品が投げかけているメッセージの1つだと思う。僕の昔からの持論なのだが、人を好きになる理由の中で最強のものは、「なんとなく」とか「好きだから」だと思っている。ただし、それは最弱のものにもなりうる。「優しいから好き」「カッコいいから好き」「お金があるから好き」「背が高いから好き」このようなものも理由としてはアリだとは思う。だが、具体的な理由を持って好きになるということは、それがなくなった時に好きではなくなるのか?と疑問に思うのである。相手が優しくて好きになった人は、その人が優しくなくなったら嫌いになるのか?
優しいとかかっこいいとかは好きの「入口」にはなるのかもしれないが、心から人を愛すると、そんなものはどうでも良くなるのだと思う。そして、嫌いな部分までが愛おしくも思える。だから「なんとなく好き」とか「好きだから好き」というのが本当の好きなのかなと。その反面「なんとなく嫌い」にもなりうる点で最弱でもあるのかなと。
ここまでは僕がこれまでも考えていたことだが、本作のイマガセと大伴の間の愛情を見て、性別も関係ないんだなと思うようになった。
自分の心を満たしてくれる存在は別に異性とは限らない。一般的に僕らは異性を好きになるが、それは生物学的に、子孫を残すための行為をするようにプログラムされているから性行為を行いたいと思うし、行うのだが、それが適しているのが異性というだけなのではないかと思った。
そして、大伴もイマガセもそれを理解している。しかし、大伴は自分がイマガセを愛していると気づきながらも、自分が俗に言う同性愛者であることを認めようとしていない。同性愛者が集まるクラブに行ってみるが、やはり理解できずに泣いてしまう。
イマガセも大伴を愛しているからこそ、大伴は女性と付き合って、結婚した方が幸せなんだと考えているが、やはり「好き」が止まらないのである。
好きなのに、このままではいけないと頭ではわかっているのに、どうしていいかわからない。そしてまた会いに行ってしまう。
まさに「愛」というものが持つ美しさ、醜さ、どうしようもなさが詰まった純愛映画だった。

2020/9/14鑑賞