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フォードvsフェラーリのsanbonのレビュー・感想・評価

フォードvsフェラーリ(2019年製作の映画)
4.2
モータースポーツはこれだから面白い。

モータースポーツは、数あるスポーツの中でも群を抜いて異質な部分がある。

それは、とんでもない額の金がかかる事だ。

基本、スポーツとは個人の才覚によって優劣が決するものがほとんどであるが、ことモータースポーツにおいては、ドライバーのテクニックだけで勝ち抜いていく事など到底不可能であり、マシンを最高の状態に設計し組み上げるエンジニアの存在と、その費用を提供する為にスポンサーの存在が必要不可欠となる。

そして、それぞれに求められる技量は全く異なる。

ドライバーは、機体を殺さず最大限生かす為の"緩急"の調整や、路面の状態を見極め"消耗"を減らすポジショニング、そして最適なタイミングで相手を差す"勝負勘"が問われる。

エンジニアは、最高速度を出す為の軽量化とそれに耐えられる強度を両立させ、決して壊れない機体を生み出す"技術力"と、レース展開を組み立てる"ディレクション能力"、更にはスポンサーとの折り合いを付ける"マネジメント能力"が問われる。

そしてスポンサーは、利益を見据えたうえでどこまでも出資に耐えられる"資金力"が問われる。

これほどまでに、"裏方"が勝敗の鍵を握るスポーツはごく稀であり、モータースポーツとは、ドライバー、エンジニア、スポンサーの三位一体によって成り立つ、言わば究極のチームプレーなのである。

しかし、その三者が必ずしも同じ方向を向いて"ただ一つ"のゴールを目指しているとは限らない。

スポンサーの役割は、先述したとおり利益を見据えたうえでの出資が主であるから、はっきり言って他の二者とは別の領域で状況を見ている。

それは、出資社としてのイメージと宣伝効果を上げる為の勝利しか求めていないという点だ。

しかし、ドライバーはなによりも個人の成績にこだわるのが当然であり、命がけのレースに身を投じているのだから、エゴイストに振る舞う器量がなければ勝利など掴み取れる筈もない。

つまり、それぞれ目標は同じでも"思惑"は別のものとして見据えている事になる。

そうなると、往々にして起きるのが"対立"であり、そこに割って入るのが中間管理職でもあるエンジニアとなる。

そして、エンジニアがスポンサーに仕掛けるのは言ってしまえば"政治戦争"なのである。

スポンサーの犬を演じながらも、思想はドライバーと同じく純粋なる勝利を求めるのだから、それを妨げるような要求を退け、如何にこちらにとって都合の良い条件下で融資を勝ち取れるかが重要となってくる。

そう、モータースポーツの面白いところは、白熱したレースの裏側で金と思惑が絡み合う"ポリティカル"な駆け引きが隠れているところにあり、ライバルやコンディションの不調、様々なトラブルと並びたってこの要素とも戦わなくてはいけないところに、より一層の面白味を加味しているのだ。

これは、莫大な資金を必要とするモータースポーツならではのジレンマであり、モータースポーツに理解のある出資社であればいいが、今作における「フォード」社はまさにそこが足枷として邪魔をする事になる。

だからこそ、それら全てに打ち勝ち掴んだ勝利の瞬間には、他ではあまり感じた事がないような湧き上がる興奮と感動を体験する事が出来るのだ。

今作は、そんな複雑な人間関係を上手くまとめてテンポよく展開させている為、153分の長尺を中弛みさせる事なく描き切り、人生を賭けたレースの行方には思わず目頭を熱くさせながらガッツポーズを決めてしまっていた。

そして、訪れる結末にはすぐには受け入れられない程の衝撃があるのだが、だからこそドライバーがその当時どれほどの想いを背負って試合に出ていたのかが分かるラストには胸が震える想いであった。

「池井戸潤」作品の「ルーズヴェルト・ゲーム」や「ノーサイド・ゲーム」が好きな方なら間違いなく満足出来る内容だろう。
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