ジゴクジジイ

ドラゴンクエスト ユア・ストーリーのジゴクジジイのネタバレレビュー・内容・結末

1.0

このレビューはネタバレを含みます

平成のドラクエ議論第1位が「ビアンカ?フローラ?」だとしたら、令和のドラクエ議論第1位は「あの映画って無し?それとも虚無?」だと思う。

ドラゴンクエストユアストーリーを見てきた。
ドラゴンクエスト5を原作にした映画だ。
3世代に渡って繰り広げられる一大サーガは、ドラクエ史においても稀に見る大河ドラマだ。

5って映画化には向いてないんじゃないか?と思っていた。
というのも結局原作をなぞる展開しかできないんじゃないかと。というかそれくらい濃厚なストーリーだから。よっぽどドラクエ3とかみたいな自由度が高い話の方が作りやすいんじゃないかと思うのだ。
ゲームやればいいじゃん。になりゃせんかと。
サブタイトルにはユアストーリーと書いてある。
どう見ても5なのに、あなたの物語とは、これいかに。

自分は初ドラクエが5で、リメイクされる度にやっているのでドラクエ史では最もなぞったタイトルでもある。その為思い入れもひとしおだ。

で、実際に見てみて。※以下ネタバレあり


冒頭いきなり画面に映し出される実際のゲーム画面。5のオープニングの主人公が生まれたシーンだ。パパスが落ち着きなくうろうろするとこね。
え、こんな感じなの?あくまで原作は原作です、くらいの触れ方で映画オリジナルで進めていくと思ったからがっつりゲームをなぞる展開に度肝を抜かれる。
ドラクエ5の肝とも言える少年時代がゲーム画面を使って割とサクサク進むので「あ、これは未プレイユーザーはガン無視なんだ」と理解した。
山田孝之のパパスとか、誰か知らんヘンリーとか、とにかくキャラと声が一致しない展開やら取ってつけたような楽曲選びのクソセンスに「これはそういうものだから」と自分を納得させつつ、ただただダイジェスト化されたドラクエ5を観させられた。
物語の核となるフローラとの出会い、天空人やマスタードラゴン、妖精の国など、特に尺が取られていないので初見の人はマジで何のこっちゃだろうし、プレイ済みユーザーにしてみてもこんなに薄められたカルピスみたいな映画にどう感情移入すればいいんだよっていう感じであった。
その他にもドラクエ5では一度も出てこなかった「クエスト」という呼称や、まったくアイテムが出てこない展開など、これドラクエ?よっぽどヨシヒコの方がドラクエやってたんだなぁと余計なことばかり思ってしまう。

端折るに端折った物語はついに原作で言う所のミルドラース前まで進む。

ちなみにこの映画で暗黒世界は無い。

ラスト10分あたりでゲマを倒した主人公の前に姿を表すのはミルドラース…ではなく
コンピューターウイルス。

「この世界(映画)はVRで作られたドラクエ5の世界だよ。お前はプレイヤー。ゲームの世界で遊んでないで大人になれよ」と衝撃の事実を突きつけられる。
「映画の中でドラクエ5のVRゲームをしているプレイヤーのプレイ」を我々観客は見せられていたのだ。

おそらくこの展開を受け入れられるか否かがこの映画の評価につながるんじゃないかと思う。

しかし俺はこの展開があったからこそこれまでの違和感に”"納得”"できた。

妙に取ってつけたような楽曲の使い方や、作り物みたいなキャラクターボイス、端折られたストーリー。

それもこれも、この物語は作り物だから!!
の一言で済んでしまうのだ。

なので「あーよかった。そうだよね。なんちゃってで作ったんだよね。正史には入ってこないお戯れだよね。okok」と安心させてもらえたのだ。

これには真正面からドラクエ5を描くことを放棄したようにもとれるし、「あの内容を2時間映画にするの無理っすわ」という制作側の開き直りにも受け取れた。

いずれにせよ、誰が言い出したのか知らないけどドラクエ5を映画化するという無茶振りに、それぞれの立場のクリエイターが最大公約数的に向き合った結果なのかな、なんてことを思う。

それにしてもこんな納得させる方が難しそうな興行を良くやろうと思ったなと感心する。

リピーターはつかないだろうし、新規にはわかりづらいしプレイ済みユーザーには薄すぎてつまんない映画。

おそらくもう二度と見ることもないだろう。

酒のツマミにこの映画のことを話すことはあるかもしれないけど。

令和に生まれた哀しいモンスターの様な怪作。
どんな違和感も「ごめんねこれVRだからさ〜」で済ます強引なうっちゃり方は世の中の数多くのクリエイターの福音になったことだろう。反面教師として。