ペトルーニャに祝福をの作品情報・感想・評価 - 2ページ目

「ペトルーニャに祝福を」に投稿された感想・評価

真名菊

真名菊の感想・評価

3.3
32歳、独身、無職、実家暮らし。
これからの希望が見いだせないある女性が、
勢いあまってゲットした十字架。

十字架をゲットすることによって巻き起こるひと騒動。
この世の男女差別を煮詰めたような世界で、
ペトルーニャが吹っ切れるまでの話。

女性に対する差別や男性優位の世界が如実に表現されてるのがリアル。
けど、ペトルーニャも明確に反論するわけでもないから、
ややモヤモヤ残るけど、最後のセリフに「ふんっ」と少しだけスカッとする映画。
Yuki

Yukiの感想・評価

3.9
ジェンダーがテーマの映画だと思って見に行ったけど、その気持ちで見てたら最後は?ってなってしばらく?????って気分やったけどジェンダーうんぬんじゃなくて、自己肯定感って大事だよね!って映画だと今気付きました!!なるほど!!
感想ではなく感じたことを。
自分のいる世界は正しさが通じる、と信じている自分と、そんな簡単ではないことも知っている自分、両方ともあって、つい世界を信用し過ぎて心にダメージを受けてしまうことが多々。
こういう映画が、人間を、人類を支えるんだと思う。
ジェンダー問題を扱う社会性を帯びた映画と見せかけて(いや、そういう部分もあるんですけどね)、実はもっとシンプルで根源的なテーマだった、というトリッキーな構造がとても面白かったです。TVレポーターの役どころがトリックの部分として効いていますよね。ラスト近くの母との会話に、最大のテーマが凝縮されているように感じました。褒められる、祝福される、って、やっぱり大きい。
新しい旅立ちを優しく見守る存在として鹿を印象的に出してきたところは、「スリー・ビルボード」との共通性も、ちらり。
yuri

yuriの感想・評価

4.0
得意分野かと思ったけど、多分ちゃんと理解できてない部分多い。絶対、なんかあるはずなんだけど、なんかわからなかった。お腹いっぱい食べたあとに見て眠くなっちゃった。
りょ

りょの感想・評価

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おいおい見た目に恵まれず、強烈な男尊女卑の文化に見舞われた女の生きづらさ描いといて結局男に気に入られて気分上がって終わりなのかいそりゃないよ
oyasu

oyasuの感想・評価

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このレビューはネタバレを含みます

私は?幸せになる権利はない?
ゲイですか?‥‥‥
お母さん、あなたは、なんていったと思う?

あなたに問い、世間に問う。

十字架をとった彼女に
恵みが。
十字架にでなく、
十字架をとった彼女に。
神は確かに。

私(だけ)の十字架では
なくなった。
歴史を学んで教師にでも、って目論んでるのんきなパラサイト女性。彼女に「歴史? アレキサンダー大王か?」というツッコミがあるのがマケドニアの映画、ということなのだろう。笑えた。

予告編を見たあと、コロナ禍のおかげで随分と公開が延びた。その間、自分の中では結構イメージが膨らんでいて、実は期待度大だったのだけれど。

皮肉な笑いを誘う細かなネタ振りは多いが、肝心の、川に飛び込む前後の描写があやふやだったなあ。予告編では彼女が十字架をつかみ取ったシーンがメインだったので、それなりにダイナミックな演出が用意されているのだと思ってたのだが。
彼女の「受難」がキリストのそれをなぞる形で展開し、最終的には止揚を目論む、というのもちょっと頭でっかちの理屈倒れだったような。

ベルイマン、アントニオーニ、コンチャロフスキー、小津に影響を受けたという監督さんの「学生映画」のような作品でした。
UCOCO

UCOCOの感想・評価

3.8
「宗教×ジェンダー」問題。

高学歴、独身女性の生き辛さ。

ペトルーニャ、急に成り行きで川に飛び込んじゃってやばいやつじゃんとか思ってたんだけど最後まで見ると、ペトルーニャは極めて普通で周囲の人間こそ本当は異常に見える。

ジェンダーに関して取り上げたくて駄々をこねるジャーナリスト、世間体を気にして娘を責める母。
ジェンダー問題のはずが、凝り固まった頭の男性陣よりも女性たちの方が見ていて嫌な気になった。
だからこそ、それが考える余地に繋がるんだろうけど。

ペトルーニャは就職先結局決まってないけど、警察の彼とちょっといい感じになったからそれでオールオッケーなの?という疑問を残して終了。
aichan

aichanの感想・評価

4.0
神は男なの?
神が男であってほしいと思うのは誰?
神が男だとしたら、なぜ神は十字架を女に渡さないの?
その伝統って、誰のためにあるの?
もしかして、まさかと思うけど...女が幸せをつかみ取るのはお嫌い?

意図の有無はわからないけれど、ペトルーニャの巧みなところは「女だから十字架が取れないなんて差別だからおかしい」と言わなかったことだと思う。(※これは「差別だ」と主張することを冷笑する意図では全くありません。)
もしこれが「女性差別」であることを理由にする戦略を取れば、賛成・反対の対立軸が生まれ、政治的な問題に発展するだろう。それは片田舎の問題に留まらず様々な意見を生み、反対派により強固な態度を取らせることになったかもしれない。

ペトルーニャは徹底的に「私が取った、だから私のもの」と繰り返す。
そうすると男たちは「女が取るなんておかしい、神は許さない、このアバズレ」と、結局差別的な発言(しかも全然信心深く聞こえない)を繰り返すしかない。
「○○だから女性差別ではない」と具体的な、(一見筋が通ったように見える)差別を温存する理屈を構築することすらできないのだ。

男/女を二分法で分け、後者の女を「標準的な人間=男」の外に追いやり特殊で劣った存在とする。そうやって作られた「女」というカテゴリーが連帯して差別に立ち向かうことは、ある一定の条件下では有効だろう。
でもJ・バトラーの言うように、それは二分法の意趣返しをすることに留まるし、ひいては「誰が本当の女か」をめぐる内部対立に陥りかねない。
だからカテゴリーを壊して、攪乱する試みが重要なのだ。ペトルーニャの「私が取ったから、私のもの」はそれにあたると私は思う。男たちは面食らい、カテゴリーを引き直そうとする姿はむしろ滑稽に映る。

最後に、まさにこの映画の邦題が、ペトルーニャの問題が日本と全く無縁でないことをよく表していると思う。
原題「God Exists, Her Name is Petrunya」(神はいた、名はペトルーニャ)が「ペトルーニャに祝福を」に翻訳されたのはなぜか?

神はペトルーニャ?「いいや、神は男に決まっている。」
女は幸せの十字架を掴み取る?「いいや、女にとっての幸せは男から与えられるもの。ペトルーニャには、我らが祝福を与えてやろう。」

相変わらずですね。邦題も含めて壮大な皮肉映画でした。