Marrikuri

イエスタデイのMarrikuriのレビュー・感想・評価

イエスタデイ(2019年製作の映画)
2.0
◆映画の感想◆

爽やかで可愛らしい映画じゃん、と序盤ニコニコ。A Day In The Life のど真ん中な使い方。Yesterday の歌唱の期待超えな上手さ。Let It Be のテイスティーなじらし方。
だが、エド・シーラン登場あたりからドラマそのものが中だるみ。それに一曲一曲の扱いの雑さが気になってきた。移り箸のつまみ食いばっかり。そのままずーっとたるんでて、可愛らしいというより単に幼稚な内容に。ドラえもん的?(予告編段階でわかってたとはいえ)ジョンレスな選曲にも不満だし。
が、元 “船乗り” との対話場面でしんみりしたよ! ええ、そりゃもちろんね! もちろん!! それならもう、All You Need Is Love か Happy Xmas か Imagine のうちのどれか一つでも最後に持ってきてくれたら、この凡作を許そう、、と心を定めた私だったが、実際にステージ上の “くだんの、ラスト曲” を聴いてもちっとも感動しなかった。なぜ? 前奏からのフルコーラスでやらないからいけないのかな。それだけじゃぁないと思う。ステージパフォにも元々何の迫力もないジャックだ。(ただし、カノの顔のドアップは、あのモノマネショーのくだらなさのボヘミアンよりも何銃倍もいい気分にさせてくれた。とりあえず、クライマックス全体にはまあ力があった。)
その後、「後だるみ」して終わった。

作る前に私に相談してくれればよかったのに。はるかにマシなストーリーをいくらでも瞬時に考えつくよ。
例えば、──────うだつのあがらないジャックに、ある日、魔法のアンプが声をかける。「ビートルズの213曲のうちの7曲だけ、おまえさんのオリジナルとして発表させてやるよ。好きな曲を選びな。全世界がその7曲だけを完全に忘れてたってことにしてやる。その代わり、曲数が一つでも超過したら、そのとたんにおまえは感電死して地獄行きだ」と。ジャックは迷ったもののすぐに活き活きと、Yesterday 、Let It Be、She Loves You 、Help、Strawberry Fields Forever、Here comes The Sun を自曲として何食わぬ顔で発表。もちろんスターダムへ! ところが、最後の1曲をどうしても決めかねた。だって、ビートルソングはすべてが愛おしいから! 愛おしいんだもん! どれを捨てるとかそんなのありえない!! だから勝負ステージで10万人もの大観衆を前に、悩みに悩んだ彼は、何と「残り207曲すべてをメドレーで “ひとかたまり” として披露する」という手に出る! 歴史に残る大成功燦々ステージとなり(←これを本当に映画のワンカットで見せる!!!)、ぜんぶ唄いおわった瞬間に彼は世界を完全制覇。ところが、熱狂する10万観客のアンコールに応えたくなって、ふと思い出した Free As A Bird と Real Love を追加演奏しちゃう。魔法のアンプとの約束『7個(213個)限り』をうっかり破って。そしてステージに雷が落ち、彼は即死。。。。 さて、三途の川のほとりで、神々しいジョン&ジョージらしき人々に抱き起こされる。「こっちは退屈だよ。現世に帰りなよ?」と助言される。花畑を引き返してジャックは、蘇生! そしたら、病室には別れたはずの恋人が。嬉し涙の止まらない彼女に、キスハグ後に、諫められ、一緒にジャックは赤い花束を持って(キアロスタミ風に)ポール&リンゴの家々に謝罪に行く。。。。その背後には、彼のオリジナルの夏の歌がブラッシュアップされて流れるのだった。。。
(おわり)


◆見過ごせない大問題◆

もしもビートルズが出現しなかったら、1960年代以降の全世界の大衆音楽(どころか文化すべて)は全然違ったものになっていた、というのは20~21世紀の人類史を語る上では絶対的な大原則であり、現在、地球上に存在するポピュラーミュージシャン(全ロックふくむ)のうち、ビートルズの影響を直接または間接に受けてない者は一人も存在しない。だから、ジャスティン・ビーバーも存在しないのだ。(本作では、なぜかジャスティンは存在するということになってる。)
非ビートルズな世界線、を原案にするんだったら、もしもビートルズが存在しなかった場合に世界はこれこれこうなっていただろう、というのをもっと何銃倍、何百倍も真剣に想像してみる必要があった。みんなその名を知らない、では済まされない。

もしもビートルズが存在しなかったら、ブリテッシュ・インヴェージョンもなかったわけだから、米国(~世界全体)の音楽内容は60年代以降全然全然ちがう展開をみせたことはまちがいない。

もしもビートルズが存在しなかったら、ロックは “大人社会に反抗する若者たちが飛びついた一過性の乱雑な流行音楽” として、ほんの十年少々で下火になってた可能性がきわめて高い。また、仮にロックが商品価値を増して保ちつづけたとしても、ロックが多様性を得たりロックがモーツァルトに匹敵するほどの芸術域に達する可能性はほとんどなかったはず。結果として8ビートの音楽は世界の傍流にとどまり、ジャズをはじめとした4ビート、および3ビートが今もなお世界を支配しつづけた可能性も高い。

ビートルズが存在しなかったら、ポピュラー音楽の世界において唄い手自身が作詞作曲するというチャレンジは少なくとも60年代にはほとんど一般化しなかったはず。数十年後までそれが遅れた可能性もある。
また、バンドのヴォーカリストひとりだけが主役であとは脇役、という硬直した図式が70~80年代以降まで続いた可能性も高い。

ビートルズが存在しなかったのに、ローリング・ストーンズが成功して今もなお存在する、というのは100%ありえない。なぜ現在の四人組のストーンズを描き込んじゃったのか????(その一方で、オアシスは非存在ということにしてる。ビートルズ直系ということで。いったい何を考えてるんだろう。)
まず、ビートルズをオーディションで落としたデッカ・レコードが悔恨のあまり血眼になってビートルズの代わりのバンドを探しまくり、結果としてストーンズに目をつけたのだ。そしてビートルズの売り出し方をマネージャーのオールダムが真似しまくったことでストーンズのミック&キースは育成されたのだ。
もしもビートルズが存在しなかった場合、ストーンズはブライアン・ジョーンズの絶対的リーダーシップの下で延々とR&Bだけを演奏しつづけたはずであり、世界的人気など出ず、そこそこの英国内成功だけを得て最長でも十年程度で解散した可能性が高く、ブライアンはドラッグに染まらず長生きした可能性が高い。「ビートルズが元々いなくてもミック&キース&ロン&チャーリーは2019年現在スターである」とする本作は、ブライアンを冒涜し全世界8000万人のブライアンファンに喧嘩を売る映画だ。ストーンズへの言及シーンを削除し謝罪すべき。

もしもビートルズが存在しなかったのなら、当然、解散後の四人のソロワークも存在しないのだから、ジョンの Imagine や Woman や、ポールのあまりにもたくさんあるヒット曲もぜんぶ存在しないってことになるんだから、当然ジャックはそれらもパクろうと思うはず。(これはまあ、楽曲管理会社の意向の違いとかがあって、映画制作難しいだろうけどね。)

ついでにコカコーラが非存在? これはビーチボーイズへの冒涜でもある。作詞担当マイク・ラヴの現役時代最高句の一つが「君がコークでブラウスをビショビショにしたの、覚えてる?」(All Summer Long)であるのは有名な話。それに、ロシア公演シーンの Back In The USSR に明らかにビーチボーイズのコーラスワークを踏襲してるが、ビーチボーイズはリーダーのブライアン・ウィルソンがブリテッシュ・インヴェージョンへの恐怖心と対抗心で発狂しながら至高の芸術性を開花させることで善くも悪しくも活動を続けたんであり、ビーチボーイズのその活動がなければ Back In The USSRはなかった。ビートルズの現役時代の真の意味でのライバル(真正面から対決し、影響を与え合ったの)はビーチボーイズだけだった、という史実は押さえておかなきゃいけない。

現役時代のビートルズを、政府に禁じられる中で命懸けで聴いてたソ連や東欧諸国の若者たちがたくさんいた。もしかしたら、欧州における冷戦の終結も、ビートルズやジョンの歌がなかったらもっと遅くなってたかもね。その前に、ベトナム戦争の収束も。


◆一番気に食わない点◆
 
この映画が、「ビートルズの魅力は、主旋律の良さと、歌詞の一部の良さ」「ビートルズが偉大なのは、名曲が多いから」という二つのことしか言ってない点。何それ。ビートルズの魅力は、歌唱表現力やハーモニーやコーラスワークやシャウトやサウンド(演奏・編曲・音そのもの)やルックスのカッコよさやファッション性のすばらしさや言動の面白さや変化のめまぐるしさや生き方の強さや多方面への先見性・革新性・柔軟性や政治姿勢や哲学や信仰や人間関係その他さまざまな要素、そしてその芯にあるものは「ロックそのものであったこと。ロックの開拓者・ロックの伝道者・ロックな生き方の求道者たちであったこと」。なぜそういうことを完全無視して単に赤盤青盤的なアプローチしかしないのか。それは丁度、死人に口なしとばかりにフレディー・マーキュリーの霊を冒涜し、レールから離れたジョン・ディーコンを無視し、声の強い生者のブライアン・メイに引っ張られすぎた暴力的悪作映画『ボヘミアン・ラプソディ』と同じ間違いだ。ジョン&ジョージの精神性をほぼ無視し、声の強い生者ポールを礼賛するかっこうだ。
それならそれで、ミーハー御用達な選曲にせず、コアなビートルズファンの多くが口をそろえて「メロディーラインの美しさでは屈指の名曲」と呼ぶポールの Here There & Everywhere や、耳なじみの良さがそのままポールらしさそのものである I Will や、(ジョンを真の意味で打ちのめした Hey Jude を除けばほぼ唯一)ジョンを嫉妬させた質の高さを持つ All My Loving をなぜ選ばなかったんだろう。Back In USSRなんて入れなくていいんだよ。
ちなみに、ジョンを直接的に追悼するマージービートで唄わせてを書いた竹内まりやお姉さんが独身時代に公式にカヴァーした唯一のビートルソングが、確か Ask Me Why だったと思う。彼女は、インタビューで「お薦めのビートルズの曲は?」と訊かれて「This Boy」と即答してた。いずれも完全にジョンの曲だ。
ビートルズの本質は、ジョン(&相棒ポール、そして)だ。モダンジャズの最ポップなクァルテットの陣容がジョン・コルトレーン (&相棒マッコイ・タイナー、そして) だったのと似て。楽曲的には、I Feel Fine だ。好みの問題じゃなく、ロックをわかってるかわかってないかの問題だ。
これはクイーン映画の時もそうだった。
ロックは映画一般よりも偉いんだよ、多くの場合ね。なぜなら、ロックは生き方だからだ。そのことを映画は忘れちゃダメだよ。特に、ビートルズの213曲(&ジョンの全ソロ曲)は、世界中の全映画がまとめてかかって攻めたってビクともしないぐらいに、最強芸術(の一つ)なんだよ。
エンドロールでは場違いっぽくてもいいから Happiness Is A Warm Gunにしてほしかったな、ポールへのシッポふり映画で終わらせないために。ジョン・レノンには今後とも (ヨーコ以外は) 誰もゼッタイに逆らえない、ってことを全世界に通達するために。

ずーっと前の『バックビート』はけっこういい映画だったのになあ。。。

私個人は、ジョージの熱ファンだけどね。

クイーンはそれ以降の音楽家たちに(目に見える形では)直接的な影響を与えてない非常に珍しいガラパゴス(←いい意味で)なバンドなのだから、この映画は、ビートルズじゃなくクイーンを使えばよかったんだよ。去年の『ボヘミアン・ラプソディ』と今年のこれが消えてくれて、代わりに本作が『ボヘミアン・ラプソディ』っていう題名だったら、最高だと思う。