この画面に映し出される文字の多さと、それらの文字が示す意味の貧困さは何なのだろう。
主演2人が自らの胸中を語るという体で繰り返される、観客に向けた説明は最早、説明する事の何たるかを完全に放棄し、何か言っているという事実だけに終始していたし、繰り広げられる妄想や勘違いも、ドラマに発展する事なく彼らの頭の中だけで完結、霧散していった。
佐藤二朗を何ら制御する事なくしゃべらせるって手段自体も、それをまだ面白いと思ってるセンスもさることながら、「好き勝手しゃべる佐藤二朗を見せる」方法が情熱大陸のパロディって一周回ってすごくないですか?
安直である事に何のてらいも無いんだな、と。
事務所から「橋本環奈が変なキャラ演じてる」以上の意味を持つキャラクターを演じるの禁止されてるとしか思えない橋本環奈はともかく、平野紫耀も本人の魅力を出しづらそうな役どころで窮屈そう。
原作にどの程度忠実なのかわかりませんが、おっさんが考えたであろうことが透けて見えるシーンが多いのもつらい。