マンボー

巡礼の約束のマンボーのネタバレレビュー・内容・結末

巡礼の約束(2018年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

そもそも少し毛色は違うが、井上靖の古代の西域小説や、民俗学や宗教をめぐる作品が好きだということもあり、このチベットの聖地への巡礼の旅を描いた作品が封切られ、昨年の2020年4月には川越スカラ座で上映されると知って、一年以上前の当時、必ず観ようと決めていたら、コロナによる緊急事態宣言で映画館が突如閉まってしまい、観られずじまいだった作品。

ところが、このほど一週間限定で上映されると知って、日中のスケジュールが立て込む中、何とか合間を縫って、かのスカラ座に滑り込んだ。

中国の西端に位置するチベット自治区の東隣にある四川省の田舎、山岳地域のギャロンに住む目鼻立ちの整った妻が、ある時突然チベット仏教の聖地ラサに巡礼の旅に出ると宣言する。

戸惑いながらも、固い決意の妻を止められない夫。妻の固い決意には、夫にも話していないいくつかの理由があり、数メートルごとに五体投地をしながら、時間をかけてラサ方面に向かおうとする妻が気になる夫は彼女を追いかけてゆくが、妻の身体は実は病魔に蝕まれていて……というのが中盤までの展開。

後半は、妻が亡くなり、その妻の亡き前夫との間に生まれた少年と、現夫が妻の遺志を継いでラサへと向かう旅路が描かれる。

地図で見るとそれほど遠く見えないけれど、その距離およそ2,000Km以上、ひたすらの荒野や、丈の短い草しか生えないやせた道路沿いの風景が延々とつづき、自然の音しか聴こえない時間も長い。

何かに困った巡礼に対して、決して裕福ではない見ず知らずの現地の人が温かく接してくれるのは、案外、国や時代を問わないのかもしれない。

最後に、妻と母親に先立たれた、互いに血のつながらない夫と少年の二人が、ラサに辿り着く寸前で映画が終わるが、その終わらせ方で監督が何を描きたかったのかが、はっきりと伝わってきた。

序盤から中盤にかけて、何を描こうとしているのか理解が及ばない時間が続き、この巡礼の旅のように迷走しかかり、葛藤や逡巡、不安が胸をよぎったものの、終盤には意図を見出し、そうなると中盤までも作り手側の手のひらの上で踊らされていた感覚に……。

美術、色彩、映像は鮮明で現代的だが、風俗、人々、描かれるものは素朴で飾らず、少し古くさく見えなくもないが、普遍的なもの。少し退屈で冗長に思える時間があり、不器用な描き方かもしれないけれど、だからこそ時間の経過にあらがって記憶に残り続けそうな作品で、観終わったあとよりも、数日を経た現在の方が本作の良い印象がより強まっている不思議な力をはらんだ作品。

当日、スケジュールに余裕がなく体調も今ひとつで、同じ監督の「陽に灼けた道」と「草原の河」を観ずにそそくさと帰ったけれど、今さらながら残念な気持ちに……。

思い返せば、彼らの眼がその思いをよく語っていたし、言葉や音楽に頼らず、静かな映像で物語る表現手法には、観終えた直後の感動はやや弱くても、記憶に残り特別な余韻として働きかける作用があることに今さら気付かされ、そういえばイランのアッバス・キアロスタミや、フィンランドのアキ・カウリスマキ両監督の作品にも、そんな作品があったことを思い出し、いつしかゆかしい気持ちに取り巻かれてしまった。