こうして満点に近い数字を男がつける行為はさもフェミニストアピールをしているようで嫌ではある。
私はフェミニストを自称しない。
他人が言うならいいが、まず自分で自分のことを「フェミニストです」とは言わない。フェミニストを自称してる男にろくなのはいない。フェミニストを自称して「僕は女性を理解してますよー。女性の味方ですよー」てポーズを取ったところで深い部分では理解できない、できていないことがままあるのだから、そんなポーズを取るくらいなら黙って女性の話や意見を聞いて、女性が男が無自覚に享受してる安心と同レベルの安心を得られる社会の実現のために自分には何ができるか、考えていればそれでいいと思う。
てか、「フェミニスト」なんて自称しなくても行動で示せばいいだけなのだからやっぱり自称するってただの異性へのアピールでしかない。
ってこういう長ったらしい前置きもそういう奴らと自分は違うんですよってアピールでしかないですよね。
でも一緒にされたくないので一応断っておきます。
さて、映画の話である。
実に見応えたっぷりの群像劇で単純に大好物でした。ここでの「大好物」というのは「ある一人物の行動によって、右往左往する人々の人間模様」が大好き、という意味である。
ある面では「桐島〜」にも近い。
バッチリメイクで仕事してる顔もいいけど、グレッチェンやメーガンのスッピンも割と好きだった。
「男はすべて敵」というフェミニストを勘違いしたエセフェミ映画と違って、本作の敵はあくまで「古き悪しき世界」である。
メーガンの家族について、目立ったセリフはないがカメラやメーガンの視線がそれとなく娘に注がれているのはひとえにこの「古き悪しき世界」を次の世代に残していいのか?という問いかけのためでもあったのだろうと個人的には深読みしたい。
自分が黙っていたゆえに若い子が犠牲になり、それゆえに究極の決断をすることになったメーガン。
ロジャーが解雇されたことによって社が生まれ変わると期待してジェスの写真立てを引っ張りだすカイラだったが上を仕切るのはマードックやロジャーを擁護していた男たち。何も変わりはしないのだと、写真立てを引き出しにしまうジェスをよそに、カイラはこんな会社にしがみつく必要はないのではとはたと気づいて社員証をゴミ箱に捨て社を去る。
よく「腐った組織を中から変える」ことが現代社会の課題のように扱われがちだが、別に政府でもないのだから既存の会社なんてものにしがみつく必要はないのだ。
ボブディランも歌ってる。
あんたたちの古い道は急速に劣化してる。
手を貸せないって言うなら、新しい道から立ち去るんだ。
時代は変わる。
とにかく強かで我慢強く計画的に戦い続けたグレッチェンと彼女の勇気に応えたメーガンに拍手を送りたいし、メーガンを支え続けた旦那さんのような男に自分もなりたいと思った。
仕事のために怒りを押し殺さないといけない奥さんの代わりに理性的に怒りを表明しつづける旦那さんがほんまかっこよかった。
あとメーガン側についてサポートはしつつも真に深い部分では理解できていないギルも悪い人ではないけど、割とリアルな僕らのちょっと上の男性像だよなぁと思った。
あとケイトマッキノン。
やっぱカッコええな。現実的なで、煮え切らない感じが実に等身大の社会人。こういう役もこなせるのね。
てかよく考えたらヒラリーのポスター飾ってるって完全にケイトのモノマネレパートリーに由来するネタじゃんwww
コート好きなのでラストのシャーリーズ・セロンのコート姿は眼福でした。超カッコいい。