ヤマダタケシ

ブルータル・ジャスティスのヤマダタケシのネタバレレビュー・内容・結末

ブルータル・ジャスティス(2018年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

2020年9月9日 新宿バルト9で

【暴力の流れに対する群像劇】
・謎の男・ボーゲルマンによって計画されていく銀行強盗、その運転手として雇われた黒人のチンピラコンビ、上前をかすめ取ろうとしている停職中の暴力刑事コンビ。金塊を手に入れるゴールを目指し、物語は展開していく。
・強盗の過程では無慈悲で乾いた、そして目をそらしたくなるような暴力が振るわれるのだが、何となく今作、超暴力的な出来事に対する群像劇のように見えた。
・今作、強盗を計画した三人組(つまりある意味で物語後半で一番事態を引っ張って行く人物)は徹底的に謎の存在として描かれる。彼らは情け容赦ない暴力を振るうが、何が目的で誰のためにそれを行っているのかが一切描かれない。黒い覆面を被っているビジュアルの通り本当に〝暴力をまき散らす存在〟としてそこにいる。
・で、この映画は基本的に黒い三人組が計画する強盗計画に対する不確定要素の視点から物語が語られる。つまり黒人の運転手コンビと暴力刑事コンビ。

【それぞれの事情と絶妙な肩入れ出来なさ】
・銀行から盗まれた金塊をさらに盗もうとする刑事。多分今作、単純にあらすじ通りに映画を作れば90分くらいの丁度いいジャンル映画になっていたと思う。
・しかし、今作はそれを158分かけて描く。で、そこに追加された60分で何が描かれるかというと、この事件に関わるふたつの視点黒人コンビと暴力刑事コンビのふたりの人物としての描きこみである。
・どんな暮らしをしてて、何故?誰のために金が必要なのか?が丁寧に描かれる。面白いのは黒人側も刑事側も自分の為では無く、家族のために金を必要としているということだ。そこの部分から観客は、特に多くの時間を割いて描かれる刑事コンビに感情移入して強奪計画の経過を見守る。
・今作、印象的なのが車の中の会話シーンである。というか今作が長くなった理由はほぼここにあると思う。張り込み中の刑事コンビ、お互いに少しナメたような、うんざりしたようなムードから来るオフビートな笑いは観客にこのふたりに親しみを持たせる。また黒い三人組によって繰り広げられる暴力に取り乱した相方を落ち着かせるべく、黒人のヘンリーが話す思い出話はやはり観客にこのコンビに対し感情移入させる。
・金塊を巡るドライブ、そこに関わる黒人のチンピラと白人の暴力警官。差別する側される側であり、全く立場の違う両者をある種親しみ?というかその人物を理解できるように描きながら、一方で今作は暴力描写によってそこに肩入れができないようになっている。特に刑事のコンビに関しては張り込みシーンの会話であれだけ親しみを覚えさせながら、冒頭の売人を検挙するシーンで売人とその恋人への暴力を描く事で、彼らが娘や
恋人を愛する姿を描いても、その手前に冒頭の暴力がチラついてしまう。
・事件は展開し、最後暴力刑事リッジマンと黒人のヘンリーだけが生き残る。金塊を手に入れるべく共同作業をする2人だが、やはり信じきれなかったリッジマンは銃口をヘンリーに向け、抵抗された結果リッジマンは死んでしまう。死にゆくリッジマンはヘンリーに金塊の一部を家族に渡してほしいと頼み、ヘンリーはそれを承諾する。強奪車から金塊を詰め替え、証拠になる車を湖に沈めるまで(個人的に車がレッカーされるというのが印象的だったが(そこにはバックミラー越しに相手を警戒するカットがある))。そこにはひとつの目的を前にした差別を越えた信頼の片鱗があると同時に、お互いのタグによってどうしても相手を信じきれない関係があるように思った。この信じたいけど信じきれない距離感がリアルだと感じたし、今作に政治性があるとするなら、異常な暴力を前に一瞬その垣根が揺らいだかに見えるこの人種間の距離感なのだと思う。そのバランス感は呼び出された署長室で語られる〝政治的に守らなければならない多様性〟とは異なる、本当に肌感覚のリアルなのだと思う。
・今作は基本的に黒人コンビの物語だったと思う。「誰かが成長する」というのが物語に必要な要素だとするなら、今作は人を殺すことが出来なかったヘンリーが、生きるために他人を殺す覚悟をする物語だと思う。だからこそ冒頭とラストはヘンリーのシーンであり、そこで印象的に出てくる「ショットガンサファリ」の、動物を打ち殺す白人のポジションを自分が受け入れるというアクションはその覚悟を表わしていると思う。
・そう考えると今作、ひとつのドラマに関わるモブのドラマを丁寧に描いた作品とも言える。それは暴力刑事コンビであり、殺される銀行員でもあった。
・殺される銀行員の女性に対し、彼女が赤ん坊と触れ合うシーンをわざわざ描くのが今作印象的だ。それは暴力の残虐性を描くと同時に、今作が描く暴力が確かに現実にあることのリアリティを増している。
・(ちょっと本筋とはズレるけど)
今作は基本的に真夜中に、郊外で繰り広げられる物語で、そこに出てくるのは黒人のチンピラと暴力刑事である。その両者は昼間の普通の人の暮らしからすると周縁にいる人物たちであり、描きようによっては観客=普通の人たちにとっては朝のニュースで知る程度の、現実の出来事ではあるが同時に遠い出来事くらいの距離感にもなりかねない。
そこに銀行員の女性の日常、暮らし、その中の想いを入れることは、その暴力が自分たちの生活圏ともきっちり重なった場所にある暴力である事を意識させるように思う。
※『ギャング―ス』『KAMIKAZE TAXI』