Anima48

ラストナイト・イン・ソーホーのAnima48のレビュー・感想・評価

4.2
“生まれてくる時代を間違えた”ってたまに口にする人いるんじゃないかな?そんな友人と幕末に京で暮らしてみたいけれど、多分新選組と勤王志士の争いに怯える毎日かもね。

夜のソーホーは赤や青のネオンに晒されたサスペリアのような色の光にさらされている。目まぐるしくカットは切り替わるし、夢・過去と現実・現在を行き来する。発狂寸前の不思議の国のアリスのような光景、監督らしい風変わりなプロット、ホラー・タイムトラベル・サスペンス・クライム・青春•ミュージカル等ジャンルを飛び越えるというよりはジャンルの間で地獄巡りをしているような映画だった。

過去と未来のソーホーに生きる2人の女子。田舎から出てきたが自信もなく周囲に馴染めず60年代の音楽とファッションに自分の居場所を求める優等生エロイーズと野心と美貌を備えて音楽界でのし上がろうと必死な目力の強いサンディ。エロイーズは自分の部屋で眠ると60年代に生きるサンディーとして過ごせる。ソーホーでのノスタルジックな冒険と60年代の音楽のハッピーな映画だと思ってたよ。髪をブロンドにする頃、エロイーズもその享楽にアイデンティティと現実を失っていたような気がする。

けれどもあくまで、エロイーズはサンディーの視点・感覚を観察・体験できるだけなので、それは遊園地の乗り物にのって見世物小屋をまわるようなもの。ジェットコースターで幸福の絶頂に上り詰めた後至福の体験から急降下し、化け屋敷の乗り物に変わって夜の歓楽街の深い闇を巡る。エロイーズの叫びは届かないのでサンディが受ける卑劣な恥辱や狂気・絶望への転落を目の前で黙って見守ることしかできない。サンディーが悪徳の罠に嵌り堕ちていく様子は見るのがつらい、そんなシーンが続いた。

60年代は女性の解放が進んだって言われるけれどそれは昼間の世界だけなんだろうか?街だからなのかな?街は人の夢を食べて肥えるし。邪悪な本音が隠し切れない夜には恐怖と淫らな欲望の間で女性は虐げられている。2020年代でもエロイーズはタクシーの運転手やパブの客からの性的な視線や物言いに耐える。薔薇色の時代なんてものは無くって、どんな時でも彼女達を壊してしまう問題はそこにあるんだろう。幻視するエロイーズにはサンディを苦しめる男たちはきちんとしたスーツを着て顔がぼけていて、匿名の“男”のように思える。当時のいっぱしの紳士、大人の男性が誰でも持っていた欲望・意識・建前が、若い彼女たちを追い詰めていたような気がする、そういえば男性は皆中年のようにも見えたっけ。

憧れた時代を体験できない僕たちは、音楽映画・小説等で夢想したり、史跡を訪れたり、幼い日を思い返したりする。でもノスタルジックな想いで過去を眺める時は、憧れとかの先入観•色眼鏡は捨てなくちゃいけないんだろうかな?だけど、繰り広げられる素敵なシーンの前にするとそんな思いも忘れがちになってしまう。サンディがナイトクラブの階段を下りる横で、エロイーズがたくさんの鏡の中に並んで現れるし、ジャックと踊っているとき、サンディとエロイーズの顔が一回のスイングの間に何度も切り替わる。ソーホーの夜は恐ろしい毒なのに魅力的な世界に引きずり込んでいく。

..そして卒業制作でエロイーズがつくったドレスは60年代スタイルだった。つまりそういうことかもしれない。
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