YasujiOshiba

アーミー・オブ・ザ・デッドのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

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ネトフリ。なぎちゃんと。ザック・スナイダーの新作ゾンビ見ようぜの一言で今宵の一本に。いはほんと、Easy-Peasy-Japaneesy じゃなくて Lemon squeezy だぜ。

というわけで走るゾンビの元祖のスナイダーが、走るだけではなく知性を持って恋までしちゃうゾンビの王様ゼウスさまを、なんと砂漠のギャンブルタウン・ヴァガスに登場させちゃうと、あろうことかそのゾンビに、愛するものを失う涙までをも流させてしまうというのだから、なんってこったという映画です。

そんな新しいゾンビの登場に加えて、まあこの映画には、甘い甘い愛があふれているのですわ。そういえば、最初のシーンに登場する新婚カップルのカラカラ引いた車なんて、ナギちゃんの言うように、まるで『ナチュラル・ボーン・キラーズ』さながらなのだけど、欲望まみれとはいえあれもまた愛の形だもんね。

それに、ゾンビの王国に金のために命をかけようと侵入しようとする強者たちは、結局みんな金ではなくて愛、愛、そして愛を選んでゆくわけ。そして、その愛とのなかでもとりわけスポットがあてられるのが、父親と娘の愛。スパイスとしての確執がついには夕日のなかで一発の愛の一撃となるような愛。いやはや血まみれの蜂蜜って感じのスプラッター・ゾンビ・ホラーですな。

でもいつものように、ちょっと甘すぎるんだよね。もちろん、そんな映画になってしまった背後には、スナイダー監督の家族の悲劇があるわけで、2017年、娘のオータムの自死により、映画から少し身を引いたていたことは、まだまだ記憶に新しい。冒頭の勢いで、大復活したと思ったのも束の間、どんどん甘くなってゆくのだけれど、でもそれはそれで楽しめてしまう。

なにしろジャンル映画だからね、ありとあらゆる引用が散りばめられている。たとえば、スナイダーと脚本を書いたジョビー・ハロルドは『オール・ユー・ニード・イズ・キル』の製作総指揮をした人らしけど、きっとそれだからだろうね、あの殺しの無限ループのセリフが登場するのは。セリフはオマリ・ハードウィックのものだけど、飄々としたソルジャーを演じた彼が、最後の最後に「ファック!」と口にするところなんて、これがまた実にゾンビ映画らしいセリフなんだよな。

音楽も遊んでいる。カルチャークラブの『Do you really want to hurt me 」とか、カバーだけどドアーズの『The end』とかまでは、おもわずニヤリとさせられるのだけど、クランベリーズの『Zombie』のアコースティックヴァージョンはいただけないかな。この曲、ぼくには思い入れがありすぎるのかもしれない。

ドローレス・オリオーダンが歌っているのは、人間の頭の中に巣食う Zombie 。それを本物のゾンビ映画に引用してしまうというのは反則。そのドローレス、2018年に亡くなっているのだけれど、この映画の背後にいる2人目の死者とは言いたくないんだよな。せめてカバーにしてくれたら、よかったのに。

かっこよかったのはコヨーテ(リリイ)を演じたノラ・アルネゼデール。ポセイドンホテルを王宮にしたゾンビの王たるゼウスの支配するヴェガスへのゲートキーパーなんだけど、フランス語を話す彼女だからこそ、ヴェガスに現れた神話的な世界とコミュニケートできるという設定。だからあの女王の首が、こちらの世界で持つ軍事的な意味だけでなく、あちらのゼウスにとって持つ神話的な意味もわかっている。その意味と意味の間隙の、あちらとこちらの世界の狭間で、空からの槍と、目の前のゼウスの間に立って、破滅への時間の流れに逆らって見せるのだが、一瞬のすき、そこにゼウスの電光石火のヤリ。うああ、めちゃかっこいいやん。ほとんど『300』の世界。

そうなんだよな、スナイダーの新しいゾンビは、どこか『300』的であり、神話的な世界を創造している。たとえ地上に一瞬現れてすぐに吹き飛ばされてしまうものだとしても、その一瞬のうちに永遠を刻み込む。刻まれた文字は、ほかでもない愛、愛、愛。

ともかくもこの作品、回収できずに終わってることが多少あるのには目をつむり、スナイダー監督の復活作として拍手を送ろうと思う。なにしろ、デビュー作の『ドーン・オブ・ザ・デッド』への回帰だし、最高傑作ではないけど、これからも楽しませてねとお願いするには十分の出来ではあったと思うな。

だから In bocca al lupo ! (がんばって、狼の口に飛び込んで)。あ、いや、この映画の場合は In bocca al tigre (トラの口に飛び込んで)かな...
YasujiOshiba

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