タマル

主戦場のタマルのレビュー・感想・評価

主戦場(2018年製作の映画)
4.0
本日は東京観光も兼ねてレインボー・プライドに行ってまいりました。 アホほど混んでてげんなりしましたが、人間とはこんなに多様なのかと思うほど個性よりどりみどりで楽しかったです。

そんな流れで、せっかくLGBTのイベントに来たんだし、「生産性」という無神経極まりない(そしておそらく本心である)発言をしたタワケが無知と恥を晒す映画を観ちゃろうかいと思い、徒歩15分のイメージ・フォーラムで本作を鑑賞してまいりました。


さて、普段はノンポリの私ですが、実は一つだけ政治的なポリシーがあります。「南京虐殺否定論者の言うことは絶対に信じない」というものです。これはレポート製作のために1年間資料を集めた経験に基づいています。殺害人数1万人説や4万人説ならまだ議論のしようがあるのですが、否定論、つまり組織では0人説を唱える人達は自分たちと異なる主張を絶対に聞き入れないし、目にしないからです。言い換えれば、自分の正当性を盲信しており、そこには「啓蒙してやる」という暴力的な選民思想が常に内在しています。研究史的に何度も何度も何度も何度も反証されていることを「新事実だ」「歴史の真実だ」と厚かましく主張し、知性の積み重ねの一切を無視し、自身の正当性を主張する。誤解を恐れずに言えば、そんなものは信仰であって、彼らのスタンスはおよそ歴史を語る態度に相応しくないからです(ちなみにアカデミズムでは8〜10万人説が一般的)。だから、本作に登場する元修正主義者の日砂恵・ケネディ氏が秦郁彦の4万人説を否定し得なくなり、歴史修正主義者(本作では組織的性暴力否定論者)達と距離を置くようになったことは全く驚くに当たりません。検証され、洗練された外部の情報に触れさえすれば、自身を相対化して、絶対的正当性を疑うぐらいの正常な感覚はすぐに取り戻せるのです。

そして、本作で歴史修正主義側として論陣を張った「つくる会」は南京虐殺否定論の総本部。教科書裁判で3度とも破れているにも関わらず、現教科書の南京虐殺を「諸説あり」レベルまで貶めた原因の組織です。従って、前述したポリシーの通りに、「つくる会」系列の彼らの意見は全く信用せずに観ていたのですが、案の定狭窄的な引用で反論した気にさせるいつものパターンを駆使。監督が上智大の院で人権問題を研究していたこともあり、ポンポン反証が出て来て、やはり慰安婦問題でもアカデミズムでは反証され尽くした議論を厚かましく引用する現象が起きてるんだなーとゲンナリしました。
あ、ちなみにタワケは自身の過去の発言との矛盾(いわゆるブーメラン突き刺さってる)をかまし、劇場で失笑を買っていましたね。

マイケル・ムーアを思わせる編集技法で飽きさせずに駆け抜けました。オススメです。渋谷にお立ち寄りの際は是非ご覧ください。
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