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華麗なるギャツビーのbebemamaのレビュー・感想・評価

華麗なるギャツビー(1974年製作の映画)
3.7
レッドフォード特集の再鑑賞
フィッツジェラルド原作
脚本がコッポラだったんだ!
原作既読
バズ・ラーマンのリメイク版も鑑賞済

冒頭のがらーんとした壮大なお屋敷
美麗な装飾品に、置かれた食べかけのパンとそこに止まったハエ
ゆったり流れる主題歌
このシーンがこの映画を象徴している
立派なお屋敷なのに誰もいない
外はきらびやかだけど、中身は空っぽ
お金は持ってるが中身はない人達
そんな人達ばかりが出てくる中で、ギャツビーだけは、、、
一度観ているからかもしれないが、冒頭から悲哀、虚しさ、やりきれなさを感じてしまって、、、

白いバラ、白いドレス、白いスーツ、白い屋敷
紗のかかったような画質
全体的に儚くて
それと対比されるような
愛人とその旦那が住んでいる灰の谷、ガソリンスタンド、暑苦しい部屋、汗の浮かんだ顔
貧富の差を印象付けてる

そして、あるシーンからグレーや黒に
ギャツビーの運命を表している

文芸作品としての品がある

純愛、一途さはあるが
引き戻したい強引さ、情熱はレッドフォードのギャツビーにはあまり感じられず、恐る恐るな感じ
胡散臭そうな人物なのに、まるで少年のようにはにかむ

若い頃観た時は、あの事件の酷さばかりが印象に残った
今回、皆が自分を偽っている中
ギャツビーのデイジーに対する愛だけが真実だったんだと

ギャツビーだけが、お金より愛に価値を置いていた
お金は愛を得るための手段でしかない
でも、デイジーは、、、
ギャツビーはどんなに胡散臭くても、デイジーへの愛は本物だった

[夢はもう通り過ぎていたのに]

一時の夢
夢は夢のままの方が幸せだったのかも





少し話が逸れて余談です
朝ドラとか観てると、幼馴染で主人公に思いを寄せていて、主人公が他の男性と結婚しても、ずっと主人公を損得抜きで支える、主人公にとって理想的(?)な男性がよく、設定されている
自分を振り返ってくれなくても彼女の為に尽くす
彼女が幸せだったらいい!
一般的に男性はそうなの?
本当はこのギャツビーのように取り戻したいんじゃないんだろうか?
あーでも、この作品の場合、一時、相思相愛だったからこそ、取り戻したい気持ちになるのか!
ずっと、片想いだったらそうならないのかな、、、

(この陰で支える、これって、日本だけかと思ったら、海外作品にも似たような設定があったから、万国共通なんだろうか?)
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