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いつくしみふかきのmのレビュー・感想・評価

いつくしみふかき(2019年製作の映画)
1.5
オーバーな演技・演出・音楽を『悪い意味でテレビ的な過剰さ』と取るか、それとも『シェイクスピア的なモチーフを現代で成立させる為の意図的な作劇』と取るかで評価が分かれそう(お前にシェイクスピアの何が分かるんやという話ですねごめんなさい)。俺は前者と感じた。とにかく過剰、それも駄目なテレビドラマ的な嘘臭い過剰さ(ただ叫んだり泣いたりする事=過剰さ、という訳ではない)。特に序盤の村パートの叔父や母らの演技がオーバーで本当に厳しい。
それからとにかく過剰なのが音楽で、ひたすらテレビ的な感情の押し付けをしてくる。曲自体のクオリティは高いけど、とにかくうるさい。映画としては明確に間違っていて大きな欠点だった。

画のルックのクオリティの高さや自主映画らしからぬ冒頭のスケール感には一瞬惹かれるが(この内容なのにロケ地の村が全面協力してくれているのは凄い)、そういった外側の『器』の部分が映画の『良さ』を必ずしも保証してくれるものではないという事がまざまざと分かる作品だった。土着的な価値観の中での父と子の泥臭い因縁の物語に最後まで引き込まれない。

一応主人公である息子を感情移入しにくい無気力人間として描くのは別に良いと思うんだけど、その代わりにどうやって観客を映画に付き合わせるかという所が無策で、その為に観客をドラマに引き込む事ができていない。
例えば主人公の初登場カットは彼が全裸で川を流れてくるシーンなのだけど、就職面接当日に嫌になって全裸で川を流れる癖があるらしい彼の内面描写としてその登場シーンの演出が活かされる事は特に無く、ただ作り手の『こういうカット面白いよね』という思考しか見えない。どうすれば観客にこの男の人間性や内面が伝わるのか?どうやって観客にこの男に興味を持ってもらうのか?それを持続させるのか?という客観的な視点を監督が持てていない。不貞腐れた主人公の表情や振舞いは面白いのだけど。


2020年(撮影はもう少し前だけど)の今こういう土着的な題材を扱う事に関してリアリティが無いと言っている人がいたけど、結局このコロナ禍で証明されたように日本の社会の性質はこの映画の古めかしい村の体質と何ら変わっていないので、今やる価値は充分ある題材だと思う。かと言って監督がこういう点に自覚的であったかというとそうではなく、もう少しこうした村社会への批評性もあって良かったのではと思うけど・・・

所々でユーモアを入れてこようとするのは良いのだけど、とにかく監督のユーモアセンスが壊滅的に悪いのでことごとく滑る。
一番最悪なのが序盤で渡辺いっけい一味がバカップル(この2人の芝居への演出もあり得ないくらい寒い)を恐喝する時に渡辺いっけいがカップルの女の子を何度も殴るのをギャグにしている所。彼が女性を殴る場面は劇中3回あって、『この男は女を殴るくらい最低の人間である』という描写としては全然あるべきなのだけど、このバカップルの場面に顕著なように監督が女性への暴力を『まあある事だよね』くらいに思っている感じが若干あるのはまずい。暴力を描く事が良くないのではなく、暴力を作り手が特に批評性やポリシーもなく扱っている事に問題がある(まあ日本映画じゃよくある話なのだけど)。監督インタビューによると現場で『コンプライアンスなんて糞食らえ!』と叫びながら撮っていたそうなので、まあそれくらいの意識なんだろうなと思う。
暴力に関する面以外でも、監督の女性観は古臭い。土着的な世界観を描くからといってそこは古くなくても良いと思うのだけど。

主人公を演じた遠山雄は映画を引っ張る『主演俳優』としてはちょっと役不足とも感じるけど(渡辺いっけいではなく彼が主演だと思う)、役者としての彼の図体だけがデカい子供のような不貞腐れた演技には鈍く光るものもあって印象に残った。Twitterの彼のツイートを見るとちょっと今後のキャリアに後ろ向きになっていそうな感じがしたけど、役者として持っている物があるはずなので今後の活動にも期待したい。
「冷たい熱帯魚」のでんでん的な彼岸の悪ではなく、極めてしょうもない地に足付いた小悪党を渡辺いっけいが嬉々として演じていて、やはり役者は爆発の場を求めるものだなと思う。神父役の金田明夫もきちんと抑えた好演。
主人公と重なりながら違う道を選ぶ存在として登場し、渡辺いっけいと擬似親子的関係を築いているチンピラ役の榎本桜も良い味わい。

渡辺いっけいや金田明夫らベテラン陣以外にも、塚本高史・某俳優(宣伝では伏せているので一応こちらでも伏せておきます)ら有名俳優がチョイ役でカメオ出演してる。遊んだ演技をしている塚本も良くないのだけど、ラストシーンで唐突に出てきて一応場をわきまえて抑えめに遊んでるつもりが結局悪目立ちする某俳優が最悪。この芝居をセーブできない、というかこのタイミングで有名俳優をカメオ出演させちゃう監督は駄目です。

結局父の運命や父と子のドラマの行き着く所はかなりベタな所。フィクションとしてドラマチックな方向に意図して向かうのは個人的には良いと思う、作り手にとってのある種のセラピーだと思うし。
ただやっぱり唐突感はあった。この映画の行き着く所はここじゃなかったのでは?作品の着想がそこだったとしても、という感じはある。そこまで簡単に人は変わらないんじゃないかな。

ポスターにもなっているラスト近くのイメージショットは意図はとても良くわかるのだけど、そこに至るステップが足りていないのでこちらも唐突感が否めない。これをやるならこのシーンで唐突に挟まれる子供時代の風呂の妄想イメージショットを中盤辺りに配するべきだった。
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