これはこれは。そうですかそうですか。なるほどなるほど••••。
スゲーな、おい。世界観がスゴいな。
最初から最後まで時間の流れがとてもゆっくりで。
もっと激しく、ドぎつくくるかと思いきや。
でも、これぐらいだからこそ、妙に信憑性と言うか変な納得感を感じてしまう。そこが気持ち悪い。
最初のメールだ電話だで、泣きべそかいて、、、何の話だ、これは、何泣いてんだ?と???が飛び交いながら、唐突に不幸が訪れ、悲しみに暮れるかと思いきや。
悲しみに暮れてはいるけど、あれよあれよとスウェーデン行くことになって。
友達の故郷で“夏至祭”だ!祭りだ!儀式だ!!と。
物凄く気が遠くなるような壮大で美しい緑豊かな景色のもと、優しい人たちに囲まれて、自然を尊び、慎ましく伝統と仕来りを守り、由緒正しく生き、根強く厳格に息づく人、モノに触れ、そこで何か“悲しみ”を乗り越える刺激があるか!と。
文化、価値観、仕来り、風習、伝統、習わし、言われてみれば、1人1人生きてきたそれが異なれば、相手のそれは全くの異世界で。
ある個人の当たり前は相手には衝撃で。
“喜び”かと思えば“狂気”と思う人もいるわけで。
こんなに美しい景色の中で、純白の民族衣装を身に纏い、親切で、気高く、伝統を守って生きている異国のスウェーデンの集落の人たちが、まったくもって“異物”としか思えない俗世間に晒されまくったアメリカ人を、何1つ、誰1人として否定することなく、暖かく迎え入れて紹介しまくってる様を見た瞬間に「おやおや?」とは思ったけども。
この人たちにそんな外敵を招き入れて何の得があるのか?とは思ったけども。
変な色した食前酒みたいなの飲ませ始めたり、
ちょっとずつ友達を個別にベクトル違う方に仕向けたり、
何の材料だかわからんもの作ったり食べさせたり、
少しずつ儀式に参加させて自発的な行動を促したり。
さも当たり前に、「はい、もう、引き返せませぇぇぇん!ざんねぇぇんでしたぁぁぁ!」みたいな。
呼ばれた方も「いや、何か、これ、絶対、、おかしいって!な?な?なぁ!?」からの「•••何か、これもまたアリ•••なの?かしらぁぁ?わかんなくなってきたぁぁぁ」みたいな。
どんどん呑まれる呑まれる。
すんごい違和感を乗り越える乗り越える。
もう完璧に「郷に入らば郷に従え」「ミイラ取りがミイラになる」「覆水盆に返らず」の巧妙な手口のオンパレードにハマりまくる。
逃げるに逃げれないし、ギリギリのところで逃げる理由もないような気もするし、みたいな。
理不尽なような、納得感もあるような。
90年ぶりの“夏至祭”。
こんな、古から続く閉鎖的な集落の伝統どころか伝説に触れるような式典、何かあるに決まってるよね。
勉強とか研究とか気分転換とか、浅はかな理由で行くにはリスクが高過ぎるわ!
まるで良い匂いがする魅力的なエサが置いてある鼠取りの中にゾロゾロと入っていくネズミのような、儲け話を信じてガッツリ搾り取られるねずみ口のような、客観的にみればこれ以上ない“美しいモデル”。
ある意味、というか、集落側からすれば“夏至祭”、最高の祭りだ。
怖過ぎる。不気味すぎる。
けど、どっかの誰かには「スゴく美しい物語」なのかも知れない。