ひば

君の誕生日のひばのレビュー・感想・評価

君の誕生日(2018年製作の映画)
4.8
パンフレットの最初のページに『花が散ってもあなたを忘れたことはない』という詩が載っている。

花が散ってもあなたを忘れたことはない。
星が消えてもあなたを忘れたことはない。
忘れないでいようと言いながらも忘れてしまう世間の心を
もしやあなたが忘れないか怖い。
私は今日もあなたを忘れたことはない。
春が過ぎてもあなたを忘れたことはないし
星が消えてもあなたを忘れたことはない。


周りはいつまでも止まって泣き続けることを許さない。いい加減前に進め、私の為にと暗に迫る。同じ境遇の人が揃ったら足並みを揃えて無念の為に戦わなければならない。後ろを向くことは許されない。事件の話はほぼ出てこない。299人、多くの高校生が大人の指示に従って亡くなった。この作品では生き残った子は「生き残ってすいません」と言わない、妹は最後まで多くを語らず天使にはならない。管理体制の怠りや嘘の証言への静かな憤りと悲しみ。セウォル号の事件は誰もに傷を残しただろう。修学旅行の始まりと共に沈んだ高校生たちの悲劇を思う傷、遺族の悲痛な叫びの傷、結果と数としてしか見なかった情報社会の傷、何も知らず退屈な日々を過ごした自堕落の傷、早々に記憶から追い出した罪悪感の傷。『悲しいよね、でもいつかは乗り越えなきゃね』そんなメッセージは新しい刃だ。乗り越えると癒されるということは違う。傷を癒さなければ乗り越えることはできない。そして傷も癒えなければ乗り越えることもできない状況を、映画が苦しみを減らしてくれるかといえばそんなことはなく、しかしその苦しみが意味だと教えてくれる。
チョンドヨンは「観客には誕生日会に招待されたと思って観に来てほしい」と、ソルギョングは「涙や痛みを強要するために作った映画ではない。一緒に行動しようということでもない。ただ2時間だけ共に慰めてくれれば温かさを感じるはずだ。治療は不可能だろうけどささやかな慰めは与えられるのではないかと思う」と語った。日常から大規模な事件に渡り何かを考えるとき、自分でもそれは杞憂ではないかと思うことも多い。他国と、他属性と、被害者と、自分と違う部分に対して細心の注意を払わねばならない毎日を生きているとは強く感じる。重なった部分を自分と同一化して踏み慣らす方が傲慢だ。同調による安易な感情の横並びがわたしは怖い。いいんだろうかと怯えずにはいられない。わからないが自問自答を続けることで自分を許せるし許してもらえると思う。
特別な事柄を特別と銘打って保護することは慣習的にも大事だし、それを個人スケールにした名のある人生イベントとはそういうもんだ。わたしは止まった時を悼む葬式は生者のためであると考える。癒えない傷を分かち合う弔い。そして進んだ時を祝う誕生日会とは、目に見えないからこそある確かな世界で、沈黙という死者の言葉を交わしながら、死者と共に止まった時の間を一緒に歩むこともできるものだとそう知った。主役不在の誕生日会で、知らないあなたがまた一つ年をとる。いつでもあなたはそばにいるのだから。肉体なんてただの魂の乗り物だ、とそう考えたら許してもらえないだろうかと、寛容と慈悲を求め死者と会話し残された者は今日も生きていくのだ
ひば

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