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82年生まれ、キム・ジヨンの小のレビュー・感想・評価

82年生まれ、キム・ジヨン(2019年製作の映画)
3.5
韓国社会において女性ならではの抑圧がストレスとなり、それが許容範囲を超えると精神を守るために別人格になってしまう病を抱えた妻と、どうしよう?と悩む夫、家族の物語。

ググったところによると、韓国では1982年生まれの女性に「ジヨン」という名前が最も多いとのことだから、韓国人女性全般に当てはまる生きづらさがテーマ。でも、病をきっかけに身内の男性陣も理解を示してくれ、自分の心持も変わり、希望はある、みたいな…。

韓国で2016年10月に刊行された同名の原作小説(未読)は、1万部もいかないだろうという編集部の予想に反し、130万部超のベストセラーとなり、社会現象も起こしたとか。

その割には、ストーリーはよくある感じで、刺激もさほど強くなく、スリリングみたいなことがあるわけでもない。日本でも共感する人は多そうだし、男性は女性の気持ちもっと考えようよみたいなパターンで、自分としてはお腹いっぱいなヤツかも、と思っていた。

ところが、最近のスマホはググったりすると、関連する記事を勝手に表示するけれど、そのお節介機能でたまたま<映画版『82年生まれ、キム・ジヨン』の「改変」に抱く強い違和感>というタイトルの記事を目にして読んだ。
(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/76335)

良いじゃないですか、映画に対して俄然興味が出てきた。そうなると、原作者が映画をどのように考えているのか知りたくなり、<映画「82年生まれ、キム・ジヨン」が公開! 原作者チョ・ナムジュさんが語る、女性の生きづらさの正体>というインタビュー記事を読んだ。
(https://www.elle.com/jp/culture/movie-tv/a34265662/cho-namjoo-interview-20-1009/)

<チョさんが作品を書く上で最も意識したのは「今の韓国社会を生きている女性の人生、生き方を、正確に記録する」という点だった。メディアやネットであふれかえる表現や記録は、実際の女性の姿や生き方とは異なるし、とても卑下され歪められていると強く思っていたという。>

多分原作は、人々が無意識のうちに目を背けている現実をありのままに示すことで、韓国国民に強いショックを与えたのだろうと。

原作は、映画のような希望を感じさせる要素はほとんどなく、ラストの雰囲気も全く違うらしい。その違いについて、著者は次のように述べている。

<「映画はより希望のある結末を迎えていますが、小説が発表された後の時間経過があるのかなと考えています。小説は2015年に書いたもので、その当時、私が感じていたこと、韓国社会に対する展望などを描いています。映画はそこから3年後で、その間の韓国社会が変化が反映しているのではないかなと思います。結末に対する韓国の読者の反応は、個々の認識によって異なると思います。『ここまでの希望を語るには時期尚早だ』という見方もありましたが、希望を持って劇場を出ることができて良かったという意見が多かったですね」>

この後原作小説を読んでみようと思うけれど、多分自分は前者だろう。このインタビュー記事を編集した方も前者の見方を小見出しに取っていて、思うところは明らか。著者は明言を避けているけれど、次のようにも述べている。

<(自分達の世代は)学生時代に進学や成績で男性と同等の結果を出していても、社会において、特に結婚し出産した後は、性別によってチャンスが制限されてしまう。そのことを理不尽だと思う一方で、『同等の機会を与えられて育ったのに、どうしてこうなったんだろう』という混乱を抱えた世代なんですよね。もちろんその中でベストを尽くすことも必要かもしれません。でも少なくとも、性別や結婚、出産、育児によって制限されるという状況は、やはり制度も含めて、社会が変わっていくべきではないかと思います。

韓国では今現在も既婚女性の50%程度は家事労働に専念しています。それが彼女たちの本当の適性なのかどうかは、とても疑問ですよね。ひとつの性別の半数を占める人たちが同じ職業についているという状況ですから。やはり自分の適性にあった仕事、もしくは自分がやりたい仕事を選べる状況を作るには、個人よりも社会が変わる努力する必要があると思います>

今なお<制度も含めて、社会が変わっていくべき>であり、<個人よりも社会が変わる努力をする必要がある>のだ。変わらない社会の中でも個人が変わり、ベストを尽くせば希望はあるとでも言いたげな本作の<改変>には、筆者も<違和感>を抱いているのではないだろうか。

何故、こうなってしまったのか。要するに観客は読者よりも大抵の場合はケタ違いに多いから(本作の動員は367万人で、小説はベストセラーでケタは同じ)、つまりは商売のためだから、だと私は思う。そして出版界よりも利害関係者が多く小回りの効かない映画界は多分、男性社会。金儲けを是とする資本主義社会も男性社会。

やはり社会を変える必要があるのだとしたら、<『ここまでの希望を語るには時期尚早だ』>という気がする。男性が既得権益を簡単に手放すわけがない。変わるとしたら少なくとも世代交代が必要だろう。原作を読んだうえで、誰かと語りたくなる映画ですね。
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