KnightsofOdessa

ラストブラックマン・イン・サンフランシスコのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

4.0
[ジェントリフィケーションとアイデンティティーの放浪] 80点

ジェントリフィケーション。再開発などによって中産階級が貧困地域に流入し、地域の経済や住民の構成が変化する都市再編現象。サンフランシスコのフィルモア地区は有名なハーレムだったが、今では白人だらけのおしゃれ地区になってしまった。元から暮らしていた黒人たちは、白人たちの流入によって元の家の家賃が払えなくなって家を引き払わざるを得なかったのだ。そんな彼らは、今では治安も環境も悪いハンターズポイントという地区に追いやられている。犯罪が横行し、もはやサンフランシスコではないとまで呼ばれ、排水垂れ流しで海は汚染されているらしく全身防護服の白人がゴミを拾っている横で黒人の少女がそれを生身で観ているという衝撃的なシーンから幕を開ける。

主人公ジミーは子供時代に暮らした、祖父がフィルモア地区に建てたというヴィクトリア朝建築の屋敷が忘れられなかった。暇さえあれば親友のモンティとともに屋敷に訪れている。屋敷の絵を書くモンティ、そして手入れされていない屋敷に落胆して窓枠にペンキを塗り始めるジミー。家主には気味悪がられているが、全く気にしないどころか"また来る"とまで言う始末。そして、自分たちには帰るべき家があるという思いは、ハンターズポイントの地域社会に入り込めないことに繋がり、宙ぶらりんになった二人は当て所ない旅を続ける。

彼らが気にかけている存在として登場するのがハンターズポイントの不良の青年コフィというのも面白い。彼はハンターズポイント代表と位置付けられており、どこにも属することの出来ない二人にとっては羨望の的なのだ。二人は彼らの間に入るために"よう、ブラザー!"と砕けた英語を練習すらする。しかし、二人が相手にされることはなく、寧ろ"白人の犬"のような扱いを受けている。それでも、これがハンターズポイントとの唯一の繋がりなのだ。最終的に彼が理由もなく死んでしまう(ハンターズポイントは治安が悪い)ことが、二人の宙ぶらりんになったアイデンティティが完全に行き場を失くすきっかけとして機能している。

主演のジミーを演じるジミー・フェイルズの実体験を基に製作された本作品は、彼の親友ジョー・タルボットの監督デビュー作でもある。タルボット自身は近隣のミッション地区出身、フェイルズとは高校時代からの親友でよく二人で映画を撮っていたという。2017年に撮った短編『American Paradise』はサンダンス映画でプレミア上映されるなど知名度もあったようだ。フェイルズは本作品の通りフィルモア地区出身だったのだが、3歳のときに祖父がなくなって自宅が差し押さえになって以降は里親や公営住宅を転々としたようだ。本作品については2015年に考え付き、二人でKickstarterでクラウドファンディングを開始したことからスタートし、ダニー・グローヴァーから直々に参加したいという電話を受けたりなどして、プランB製作・A24配給という形で初めての長編作品が出来上がったのだ。

生まれ故郷から離れた人間が生まれ故郷に帰ってすら疎外感を感じ、結局どこにも拠り所がないというのは現代のユーゴ圏の映画に多く見られる系統の作品だ。本作品はそれをサンフランシスコ市内という極めて限定的な空間で行った。様々な問題を抱えながら内部から自壊していく巨大帝国の実像を垣間見たかのようだ。本作品の中で誰も明白な差別をしない。黒人だから白人だから問題が起こることはなく、ただ自分たちがやりたいことをしているに過ぎないのに、夢を見ることさえ現実によって行く手を阻まれるのだ。

ジミーはサンフランシスコを離れた。新たな"故郷"を探す旅の始まりだった。
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