まさかテネットを観て以来、こんなにも短期間でまた頭の中に小宇宙を感じる映画に出会えるとは夢にも思いませんでした。
フィルマークスのあらすじしか読まずA24ということで青春しとるんやなぁぐらいの心構えの私が悪いのか本作がコンテンポラリーダンス系映画なのかそれとも生理的な問題なのかいや~歯がゆいですね。
冒頭の前歯2本が生えていない黒人少女のドアップの笑みからの黒人男性の演説までの流れにおそらくセンスの塊であろう本作の監督に早くもガッツポーズをしてしまったのもつかの間、小宇宙にいました。
置いてけぼりを食らったのはいつか、そもそも最初から食らっていないのではないかいきなり美術館の絵画を眺めて100%理解出来ないようにテネットと同じく感じる映画なのではないか鑑賞後何のラーメン食べようかなと言い訳をすると鬼才監督の術中にまんまとはまってしまったんです。
確かにセンスの塊だと感じたことは間違いではなくPVのようなスローモーション映像やアニメのシャフトの良い意味で鼻につく角度っぽいやつなど確かに感じるんですよセンスってやつを。
ただテネットもそうですが多くは語らずスタイルなのでこれに映像的センスをぶつけられるとだんだんと星星が見えてくるわけですよ。
第四の壁を使えとは言いませんがシリーズ物ではないので多少説明口調でバカにも寄り添ってほしいものです。
A24関連で言うとミッドサマーの主人公達が変な村に行った時ってこういう感覚なのかとシンクロしましたよ。
テネットは観る前からスパイ映画だと割りきっているので難解だろうとも感覚的には勧善懲悪だと理解できます。
しかし本作は鑑賞者が黒人男性2人に会いにサンフランシスコに行くという点においてミッドサマーの変な村の人に会いに行くと同様、なんかわからないがとりあえず目的地に行くという感覚だけでその先は掴めないのです。
いざ黒人男性2人に会うとそう、そこはもう……小宇宙ですよ。
10代で初めて時計じかけのオレンジを観た時もこんな感じです。
そもそもシンプルに祖父の建築した豪邸を子孫が買い戻せるのかどうかなんですが何が俺を支配しているのか視覚的に洗脳、いや拷問されているのではないか、キューブリックの2001年宇宙の旅を公開当時観た人もこんな感じだったのだろうか、キューブリック、ノーランと来て本作の監督ジョータルボットはとうとう宇宙に行かずしてサンフランシスコに宇宙を作ってしまったのか。
ネタバレ解説を読んでも未だに地上に戻れていません。
今ならミッドサマーのフローレンスピューの気持ちがよくわかりますよ。