晴れない空の降らない雨

TENET テネットの晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

TENET テネット(2020年製作の映画)
4.6
■時間の空間的表現
 ノーランの「メタ映画」芸が極まるところまで極まった作品である。映画とは時間と空間の芸術だが、ノーランは時間を空間上につまり視認可能なかたちに表現しようとする。いや、これだけなら、どんな映画もそうだろう。登場人物が歩けば、その時間は歩く身体として空間化される。しかし、現実と違って、映画には逆再生ができる。ノーランは、その映画にしかできない時間性をさらに視覚化しようとする。しかも極端に派手なやり方で。そして、改めて「映画はすごい」と知らしめたいのだろう。そのためにリュミエール兄弟にオマージュを捧げたりもする。
 本作は今まで以上に知的かつ愚直である。「挟み撃ち」という作戦が劇中でとられたように、映画もまた「順行」と「逆行」の挟撃地点でエンディングを迎える。あるアイディアで、ストーリーの構造からタイトルに至るまで徹底的に統一してしまう。
 そのために、ストーリーは王道でシンプルなものになっている。『ダンケルク』において敵が「敵」としか呼ばれなかったように、今作でも敵は敵という性格でしかない。本作は、スパイ映画のフォーマットに則っており、ジャンルの紋切り型を、ストーリーやキャラクターを語る労力の節約に利用している。たとえば、悪役のセイターは、「残酷なロシアンマフィア」の類型をそのまま持ってきている。その結果、『インターステラー』のエモさはどこへやら、『ダンケルク』以上に乾いたタッチの映画となった(とはいえ、ノーランの映画は本来はそうだと思うが)。思想的な側面もやはり『ダンケルク』と同じくらい後退しており、このアイディアが必然的に生み出す決定論の問題に対して、わずかに示唆するくらいだ。 
  
■多国籍というより無国籍
 監督の前作『ダンケルク』でも、主人公の若い兵士をはじめ多くの登場人物には最低限の性格づけしかなかったわけだが、今作では人物の無個性化がさらに推し進められて、主人公にいたっては名前さえなくしてしまった。(もっとも個人的には、よく言われるほどノーラン映画の人物たちが魅力に欠けると思ったことはないが。)
 こうした傾向は明らかに、「映画そのもの」に対する監督の偏執狂じみた趣向と一致している。それ以上に、セイターの背後にいる見えない敵の抽象的性格(やはり『ダンケルク』と比較される)、それと対応する「組織」の超国家性、世界中を飛び回る主人公、そして主人公が本編後とらざるを得ない生き方と関わっている。
 この映画は、ノーランの映画としては初めてグローバル感を前面に押し出した作品でもある。主人公が黒人であることもあり、「多国籍」感があると言いたいところだが、上記の特徴からはむしろ「無国籍」と言ったほうが適切だろう。
 
※「これは黒人映画ではない」?
 本作の主人公が黒人であることは、一見、それ以上の意図を憶測させる。だが、映画を内在的に捉えるかぎり、ジョン・デイヴィッド・ワシントンが主人公であることは、せいぜい視認性の良さくらいの意味しかない。
 しかし、まさにノーランの狙いはそこにあるのではないだろうか。ハリウッド映画が白人を主役にするとき、誰もそこに意味を見いだそうとはしない。ところが、非白人を主役に抜擢すると、メディアはそのことを取り上げる。まるで、そこに理由が必要であるかのように。いや、実際にも作り手がそこに理由(付加価値)を与えている場合が大半だ。そして、そうした配役を前面に押し出して宣伝に使いたがる。
 それが異常だということは説明するまでもない。これに対し、ノーランは、この「無国籍」的な映画において、とくに意味も理由もなく黒人を主役に据えた。これこそは、最も(そして唯一の)スマートな、政治的に正しい所作ではないだろうか。
 なお、本作が最も人種問題に接近する瞬間は、ブルックス・ブラザーズ(米国企業)のスーツが上流階級の場にふさわしくないと、マイケル・ケイン演じる英国紳士に主人公が馬鹿にされる場面だろう。ただし、このシーンは『キングスマン』のパロディだから、そういう意味合いは込められていないと思う。
 
 正直ハンス・ジマーの音楽は食傷気味だったので他の人に替わってよかった。