レインウォッチャー

スケアリーストーリーズ 怖い本のレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

3.5
ギレルモデルトロの季節④'

ハロウィンの夜、幽霊屋敷からつい持ち帰った一冊の本。白紙の頁に毎夜物語が綴られ、その主役は筋書通りの死を迎える…。

週末に最適なジュブナイルホラー!…でありながら、実は「物語の持つ力」を少年少女に託す太い骨格が隠された作品。
それは、13年の時を遡る『パンズ・ラビリンス』の頃から変わらない、いやむしろ地続きといえる想い。

今作は監督を『ジェーンドウの解剖』等のウーヴレダル氏が務めるが、製作&脚本でデルトロ氏ががっつり噛んでいて、外面・内面ともに深く濃い筆致を残している。

屋敷の主と思しき人物、サラ・ベローズの「本」が呼び出す怪異の造形は言を俟たず、白い太った女やジャングリーマンなど恒例の「何食ったら思いつくんだ」案件。

片やストーリーは伝統的な『IT』形式とでもいおうか、ルーザー/アウトサイダーの魂をもつ少年たちが、恐怖の連鎖を止めるべくその根源を突き止める冒険を通して成長する姿を描いている。原作もいわゆる児童書に属する怪談集だし、じゃあ少年たちの青春の中で完結するライトな話なのか…と思いきや、抜け目ない刃が懐中から(しかし割と露骨に)覗く。 

時代背景は1968年、ベトナム戦争の真っ只中。劇中で映るTVはニクソン政権成立前夜を告げるし、人々は『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を観る。
そして、徴兵。俺らベトナムさ行くだ、という行為は英雄視され、逆に忌避する者は軽蔑の対象となる社会構造が出来上がっている。

掲げられた虚ろな御旗の下、無為に命を散らす人々の姿。
今作で、本が綴る理不尽な運命を強制的に選ばされる登場人物たちの姿。
このふたつは似て重なるのではないだろうか。

そして、主人公(作家志望でもある少女)が辿り着いた解決方法は、「自らが物語を語ること」だった。
劇中でははっきりと、「物語は人を傷つけることも癒すこともできる」と語られる。その諸刃の剣ともいえる力を知ったうえでなお、空白の頁に文字通り身を削って、自らの血で書く。
彼女は明らかに、サラ・ベローズだけではなく『パンズ・ラビリンス』のオフェリアからも輪廻の果てで本を受け取った者なのだ。

映画はまだ途上であるような語りで幕を閉じるが、それも当然である。イラクで、ウクライナで、偽りの物語は公然と繰り返されているのだから。
この作品が小さな青春譚やキャッチーな怪談の姿を借りて少年少女に伝えた本当の物語の価値を、今一度見つめなければならない。


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オープニングとエンディングが、同じ楽曲『魔女の季節(Season of the Witch)』でサンドイッチされている。OPはドノヴァンによる'66年のオリジナルで、EDはラナ・デル・レイ姐さんによる憂鬱で秀逸なカヴァー。

歌詞は抽象的にも思えるけれど、魔女とはいったい誰なのか。わたしたちの「筋書き」はわたしたち自身によるもの、それとも魔女?