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わたしは光をにぎっているのsのレビュー・感想・評価

わたしは光をにぎっている(2019年製作の映画)
3.5
filmarks試写会にて。『走れ、絶望に追いつかれない速さで』、『四月の永い夢』の中川龍太郎監督の新作。もっと若いと思っていたら、もう29歳になられていた2014年にTIFFで上映された『愛の小さな歴史』の時は24歳くらいだったし、実生活で大切なご友人を亡くされた過去を基に作られた『走れ、絶望に〜』は、当時やり場のない感情がぐるぐると頭の中を渦巻き、先のことを考えるのも今この瞬間と向き合うのも嫌、そんな状況にいた私をまさに「しゃんと」させてくれた衝撃の映画だった。そんな中川監督の新作、『わたしは光をにぎっている』のタイトルは山村暮鳥の詩集「梢の巣にて」より。中川監督自身、元々詩人から映画監督へ転身されているので今作でもその語られる「詩」は野尻湖の美しい映像と共に、言葉としての強い印象を残していく。
商店街の再開発による立ち退き問題等、身近な社会問題をテーマに置く本作の主人公は松本穂香ではない。全体を通して引きや俯瞰のショットが多く、彼女がいる街、そこにいる人、全部ひっくるめた風景そのものがこの映画の主人公だ。物語は地元・長野県の野尻湖での日々と、下宿先の銭湯のある東京での日々を行き来する。どちらにも共通して彼女の身近に存在する「水」。銭湯の手入れをする彼女の水の扱い方はとても優しく丁寧で、水たちは彼女の手の中できらきらと光り揺れ動く。上京初日のはじめての銭湯で、天井の角辺りを眺めながら、「あ、あ」と声を発するシーンがある。自分という存在と、建物の生存を確かめるかのような、「呼吸をしていること」を確認する儀式。全体で見たらなんて事のないシーンかもしれないけれど、彼女の人柄が滲み出る、とても優しい場面だったと思う。初めは松本穂香のうんともすんとも言わない、おっとりしすぎた感じが生理的に無理だったけれど、銭湯での覗き見おじさんに対して荒げた声をあげたときはこんなでかい声出るんかい!とびっくりしたし、少し仲良くなった友達が不倫を開き直って肯定していることに対しても、その表情にはわかりやすく怒りと軽蔑の念が滲み出ていた。人は育った環境、出会う人によって形成される部分がとても大きい。彼女はきっととても素直で周りに流されず、だめなことはだめだと、自分のものさしをちゃんと持っている人だ。彼女が過ごしてきた野尻湖での暮らしを思い返せば、なんとなくそれが分かるような気がした。
人と街のつながり、私たちの居場所、みんなのホーム。終わり方をどうするか。
行き場のない人たちをどこへ向かわせるか。「しゃんとしよう」と思った彼女が心に決めて取った行動。その場所を、その場所にいる人たちを、水を、亡くなった命を、生きている命を、自分の身近な人やモノを大切に愛する彼女だからこその終わらせ方に、優しい涙がポロポロとこぼれ落ちた。
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