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クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代の380のレビュー・感想・評価

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こないだ世紀末でしたよね。1999的な。その一つ前の世紀末、千八百丸丸年から、越えて千九百丸々年ぐらいの時期で場所はウィーン。その辺りのアーティストとか文化人の集まりが有って、
自身の父親(従来在ったもの)に反抗する様に、追い越そうとするかの様に革新的で、しかし時代の不確かさに不安感を募らせつつ、自身固有の問題についても深く掘り下げ、葛藤や
消化し辛いものを解放する意味合いを持った創作物をクリエイトした、そんな人間達とそれを取り巻く「分離派」と呼ばれたムーブメントが有ったとの事です。
それを画家のクリムトとシーレを中心に紹介し分析するといったドキュメンタリーがこれでした。

ドキュメンタリー映画を観るのは久し振りです。最後に観たのはイン・ベッド・ウィズ・マドンナほど遡らないけど…シッコかな?それかRoom 237。が最後です。普通のフィクションの映画を観るのと同様、作った人がどうゆう意図でこの作品を撮ろうと思ったのか、何を言わんとしているのかを考えたいと思いました。単にクリムトずきだからと言った理由とかではない筈です。

映画自体の作風は、時代背景、アーティストの評判や人トナリ、それに関連した学問等他の分野・学者の存在と彼等が提唱したもの、作品の制作工程や作風、それからそこへどういった考えが投影されているのかを淡々と紹介するものでした。
あらゆる事柄に対して、答えは出ないものの模索・考察し惑うアーティストの姿は、現在の私達の日々の活動と似て、若干の知恵のようなものを導き出してくれ、且つ創作と言う解放する手段を持った優位性も同時に見せつけられた、そんな感じでした。

端的に言うと。。

◇クリムトもシーレも作風・題材が官能的で批判を受けたりする。
◇同時期に著書(論文?)を出したフロイトに影響されてか、自身の内にあるものを投影した為。
◇シーレはその作風故、と言うかモデルとのおイタの為に警察沙汰になってみたりする。ロリコン?🤔
◇割と重い刑で、それは結構辛くて創作物にも現れる。(辛い事としては気に入った人ではない人と結婚するとかもあり、自身をゾンビ的に描いた絵も。)

◇結局のところ今も昔も人は雄と雌。抗い難い衝動故それに振り回される。
◇なのでこの2人は正直って訳ですし、だからこそ作品は人に感銘を与える。

以上。

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あの時代に自身のセクシャリティーについて掘り下げ、且つ創作物に投影させ、賛否はあれども多くの人に見せるのは勇気の要る事。作品は割と実存的で具体的。「100年経った今も広告には使用(表示)出来ない程なのでその時代どれほど人にショックを与えたか。」と作内で言われていましたが確かに赤裸々です。
美しい芸術作品であると同時に衝撃的で、あるグループからは受け入れ難いものですが、昔も今も共通する人間(男女)の真理を描いていた訳なんですね。自己の探求の結果そうなったのか、計算なのか良く分かりませんが。

キューブリックの「アイズ・ワイド・シャット」が、この時期出版された彼等の仲間内のアルトゥール・シュニッツラーの作品を原作としたものだと言う事も説明されていました。映画のテーマは言わずと知れてます。
そこからも、このドキュメンタリー映画が現代人の求める答えを導き出す知恵として、今も昔も共通する雄と雌の生理衝動を抽出していると分かります。それは原題としては提示されていますね。行動様式や日々の活動の形に変容は有っても、根底に在る物は変わりませんし。とかって事ですかね。答えは出ませんとハッキリ言ってましたから、考察を重ねる、模範解答を模索すると言った動作の、その方向性を提示してあげますよって感じに私は受け取りました。

このドキュメンタリー作品の中で、フォーク・ダンスで男女が手を繋いで踊る模様が映し出されます。
アメリカ/ハリウッドでは報酬等の男女格差が見直されようとしている一方で中絶禁止法が成立する州が出たり進んだのか逆行してるのか謎。同性婚OKな国が増えて来たりしてますが日本の地方のお婆ちゃんとかは早く孫の顔見せろとか未だに言いそう。この作品の中ではオス&メスの生態についての創作物が紹介されてますが、単に"そうゆう感じの作風のアーティストですよ"と紹介するだけ、な訳はないので、私が想いを馳せたのは…生殖・繁殖とか人間の全ての行動の根底にあるもの、それから性衝動だったり性犯罪の矯正と処遇、自己探求の結果な創作物への検閲だとか…そんな所でした。
男女に分かれて二人一組になって踊る様子は、あたかも地球を俯瞰で見た時の、オスとメスの生命活動のようにも見えます。

なんとなく、ですが
若干の寂しさが残るのは…ここに登場したアーティストやその親御さんw達が、自殺・戦争・疫病等で亡くなっている事からでしょうか。昔だから、と言えばそうなんですが。

ウィーンと言えば上はチェコ・右はポーランドと言った具合に結構ひがし。戦時下は大変だったと思います。畳の上の布団でホンワカ亡くなって行った感じじゃない人も多かったと思いますが、クリムトもシーレもスペイン風邪で亡くなったとの事です。

年表を見ると、2人共、死ぬちょっと前とかに絵が沢山売れてみたり、成功したと本人が感じられたのでは?と言える瞬間は有ったようで、その点は良かったです。
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