せーじ

パラサイト 半地下の家族のせーじのレビュー・感想・評価

パラサイト 半地下の家族(2019年製作の映画)
4.3
276本目。内外を問わず、ものすごく話題になっていたものの、未見だったこの作品。
年末のこの機会に観てしまおうとレンタル、そして鑑賞。




…なるほど。
こういう作品だったのかぁ、と思いました。
基本的には、よく出来ている作品だと思います。

この作品の観方や評価を大きく分ける一つの視点として「誰に感情移入できるか/できないか」ということが重要になってくるのではないかな、と自分は思います。
自分も下層社会の人間なので、途中までは当然のことながら、キム一家に肩入れをして観ていました。あの一家の貧乏庶民的なバイブスというかノリは自分にも覚えがある感覚で親しみやすかったでしたし、一連の「寄生」プロセスはテンポもよく笑えたので、ケイパーものの軽妙な潜入ミッションを観てるみたいで楽しく彼らを応援できた気がします。

ただ、この作品はそれで終わりにしてくれるわけも無く…

ひとたび見方を変えて考えてみると、「寄生」される側のお金持ち一家には、何の落ち度も無いことが見えてきますよね。「資産があって、裕福な環境である」というだけであって、何か明確に自分たちよりも下層の人々に対してあくどいことをしている訳ではなく、彼ら自身としてはただただ普通に暮らしているだけだったはずなのです。なのに…ということを考えていくと、途端に寄生しようとして頑張っているキム一家が「下水臭い」「便所コオロギ」のようにも見えてくる訳です。もちろん逆に、キム一家側の視点に戻って考えてみると、金持ち一家の姿は愚かで差別的に見えてしまいますよね。
このようにこの作品は「金持ちは悪、貧乏人は善」というような一般的で単純な勧善懲悪思想で物語を描こうとはせずに、「善と悪」の価値観を劇中の展開で一つずつ相対化していくことで、すべての登場人物をフェアに描こうとしているという姿勢が、まずは素晴らしい所なのではないかなと自分は思います。

そして、ここが重要なのですが。
この作品で交錯する登場人物たちは、お互いの事情を「知らない」ということなのですよね。
そう、この作品は「知らない」ということが彼らに見えない分断を生じさせてしまっていると描いているのだと思うのです。
「大雨による洪水で被害が出る場所があるということを知らない」から、翌日に平気でパーティーが開けるのであるわけですし、逆にいうと「洪水で被害に遭ったことを知らないでいられてしまう」ということを「知らない」から、憎悪が駆り立てられてしまうのです。『あのこは貴族』でも指摘しましたが、格差社会の一番の膿みとなる部分はここで「異なる階層の人々が交錯したとしても、お互いがお互いの事情を知り得る機会がほとんど与えられない」ということなのですよね。「自分たちには分からない」「関係ない」「(出来れば)見ないふりをしたい」「そんな事情なんて知ったことか」というそれぞれの姿勢が、こういう問題をより悪い方向に後押ししているのではないかなと思いました。

で、この作品が更に凄いのは、単純な二項対立で終わらせるのではなく、更にもう一つの存在、つまり両者が知り得なかった階層を中盤の段階で付け足してきたところなのではないかなと思います。ただ、あの付け足し方は突飛だったかもしれないなと思いますね個人的には。あの家に住んでる一家が「あれを知らない」っていうのはちょっと…と思いますし(気がついているっぽい"子"も居ますが)、元の用途がそういう用途なら、尚更家主は把握しておかないとっていうのは、ちょっと気になってしまう所かなと思います。それと、金持ち一家の「彼女」が「匂い」に気がつかないというのも、どうなんだろうなぁと思いました。恋しちゃう気持ちはわかるけど、なんぼなんでも盲目にもほどがあるのではないかなって。
YouTubeなどのレビューによると、この他にもまだまだ自分が気がついていないであろうディテールがどっさりとあるそうで、そういうのを探して考えるのが好きな人々にはたまらない作品なのだと思います(個人的には、そこはどうでもいいかな)。撮影もポン・ジュノ監督自身が「空間フェチ」であると明言しているように、撮影構図や空間設計が抜群に良くて、上手いなと思わされました。

※※

ということで、とても見ごたえがあり、色っぽいシーンやどんでん返し、ヒヤヒヤするシーンや残酷なシーンも用意されているという、エンターテイメント映画としては盛りだくさんな作品なのに、これからの世の中のことをしみじみと考えさせられる作品となっています。
お時間がある時に、ぜひ。
せーじ

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