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パラサイト 半地下の家族のnaoズfirmのレビュー・感想・評価

パラサイト 半地下の家族(2019年製作の映画)
4.3

想像の斜め上を行った作品🎬

ストーリーは半地下に4人で住む家族が裕福な家に寄生する姿を描いた作品でした。今作はジャンル分けをしてと言われたら何処に属すか分からない作品です。正直今作を観るまであまり期待はしていませんでした。わーきゃー騒がれているけど、所詮"君の名は"位の騒がれすぎたが故のガッカリ感を感じるのだと、しかし今作は自分の想像の遥か上を行ってました。脚本、カメラワーク、テーマ、全てにおいて凄いの一言です。今作のテーマは「貧富の格差」です。貧富の差をテーマにしている映画は"万引き家族"をはじめ沢山ありますが、今作はそのテーマの伝え方が絶妙でした。

"魅せ方"
まずは魅せ方についてですが、窓ガラスが有効的に利用されていました。鑑賞中どう考えても「視覚的」にジャマである窓ガラスの仕切りが気になっていましたが、作品が進むにつれ、一見ジャマに思えるこの「線」はこの映画における重要な要因である貧富の格差をあらわす境界線となっていました。この「線」は随所に渡ってあり、必ず「金持ち」と「貧乏」にきっぱり分けられていました。「金持ち」と「貧乏」は同じ空間にいながらも、両者を分ける「線」がありました。主要舞台となっているパク家の豪邸には「線」だらけでした。片方には金持ち「線」を隔てて、もう片方には貧乏の構図が守られています。これは凄すぎます。また「線」ではなく、「光」も貧富の境界線として表現されていました。

"カメラワーク"
次にカメラワークです。貧乏側は「上から下」
金持ち側は「下から上」というルールがありました。「貧乏は金持ちから見下ろされる立場」あるいは「貧乏は金持ちを見上げないといけない立場」とも捉えることできます。貧乏は「上」を求め、金持ちは「下」を見ない。カメラワークやアングルとは少し話がそれてしまうが、「上」を求める貧乏人と「下」を見ない金持ちの表現もお見事です。貧乏のキム家はWiFiを拾うためにスマホを「上」にかざす。彼らが求めるものは「上」にあるのです。一方で、金持ちのパク家は「下」を見ません。貧乏キム家は宴会のゴミをテーブルの下に無理やり押し込み、自らの体も隠すが、最後までバレることは無かったです。なぜなら、金持ちは「下」を見ないからです。「下」を見ない金持ちパク家は、自分たちが住んでいる家に地下室があることすら知らない。だから迫っている脅威に気づくことができないのです。恐怖そのものですね。

"題名"
そして今作の題名にもなっている、パラサイトについてです。正直作品を観ていてどちらが本当のパラサイトなのか分からなくなってきますね。金持ちパク家は、豪邸を維持したり、買い物をしたり、子どもたちに勉強させるためには家政婦・ドライバー・家庭教師に依存しないといけません。この関係性は冒頭からエンディングまで、しつこいほど表現されています。物語をとおしてパク家が「他社に依存することなく自分たちだけで完結」する作業はありません。天候不良のせいとはいえ、一家だけで出かけたキャンプすらもうまくいかない。そう考えると、映画のタイトルにもなってる「パラサイト=寄生する者」はどっちでしょうか。裕福な家族から搾取する貧乏な家族?それとも貧乏な家族に依存しないといけない裕福な家族?これは観る側の受け方次第だと感じました。
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