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パラサイト 半地下の家族のshxtpieのレビュー・感想・評価

パラサイト 半地下の家族(2019年製作の映画)
3.5
「わはは」と笑いながら見ていたら、いつのまにか絶望の淵に立っている。いや、絶望の淵に追いやられている。あまりにもキツいし、救いがなさすぎる……。

『パラサイト』が言っていることはつまり、持たざる者、貧しき者は互いに足を引っ張り合い、殺し合い、限られた食い物を奪い合うことしかできない、ということなのではないだろうか? 少なくとも、僕にはそうとしか思えなかった。

それが現実なんだと言われれば、そのとおりなのかもしれない。彼らの居場所は結局、下水の臭いが充満した半地下の薄汚れた家しかないし、あるいは誰にも知られていない地下室しかない。階級と格差は固定されていて、そこからのイグジットはまったくもって許されないのだ。

たとえばダルデンヌ兄弟やケン・ローチの映画は、生々しく虚飾のない映像で地べたからの物語を語るわけだけれど(ローチの映画にはまだ救いがあるかもしれない)、それをこうもギラついた血みどろのエンターテインメントにされてしまうと、どうにも「うっ」となって引いてしまう。エグみが強すぎるのだ。それがポン・ジュノでの映画あり、ざっくりと言って韓国映画なのであると言われてしまえば、それまでではあるのだけれど……。

とはいえしかし、俳優たちの演技の濃さやうるささはかなり気になった(それこそ、そもそも韓国映画が、という……)。また、シネマスコープで撮るためのオープンセットであるはずが、ミドルやロングショットをあまり撮らないために(とにかく説明的な寄った画が多く、ある種、漫画を読んでいるかのようだった)、シネスコのサイズを活かしたり、セットの広さをを伝えたりする撮影ができていないように感じた。セットがものすごく重要であるのもわからなくはないのだけれど、うーん……。

それにしてもこんな映画を見てしまって、それでニッポンの映画はどうするんだろう? なんて思ってしまった。『パラサイト』はあきらかにポン・ジュノひとりの才能によるものではなく、韓国という国が映画にかけている力や思いの強さが表れた映画だということが、ひしひしと伝わってくる(ポン・ジュノは韓国民の映画を見る目の厳しさについて、アカデミー賞授賞式の壇上で語っていた)。金のかけかたも、製作環境や創作のありかたも、観客もまったくちがう。いっぽう、この国はどうだろう? いわゆる「メジャー」はいつまでも少女漫画を原作とした歪な映画を撮り続け、「インディ」はうだつの上がらない若者たちの微温的な生活や恋愛を描いた映画を撮り続ける? 本当にそれでいいのだろうか?

パルムドールにアカデミー作品賞、というのはさすがにやりすぎな気もするけれど、それだけのパワーがあることもまたたしかだった。果たして『パラサイト』以降ニッポンの映画は、映画界は、映画人は変わるのだろうか? そんなことばかりが気になってしまった。
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