モトーラ世理奈と西田敏行の凄まじいまでの演技とその説得力の深みに打ちのめされてしまった。
特にモトーラ世理奈は、まるで演技とは思えないくらいにハルの哀しみを体現していて本当に素晴らしかった。
これは、被災し何かを失った人々の、等身大の哀しみなんじゃないかと思う。
観ていて、本当に胸がつぶれそうなほどに悲しくて苦しかった。
震災直後、被災し家に帰れず、避難場所で何日も余震に怯えながら眠り、目が覚めるたびにこの恐ろしく悲しい現実が夢ではないってことにいつも絶望していた。
平凡な毎日は、当たり前じゃなかったんだってことを初めて痛切に思い知らされた。
そして、この気持ちを、私はいつまでも忘れてはいけないと思った。
西田敏行演じる今田が語ったある台詞を聞いて、その時の気持ちを鮮明に思い出した。
福島で被災した人々の想いを代弁するかのような西田敏行の言葉たちは、余りにも重い。
今は誰も居なくなって荒れてしまった土地にも、以前はキラキラとした人々の生活があったこと、そこが美しい土地だったということを思い出させていた。
ハルは突然に家族を奪われ、生まれ育った家を流され、独りで遠く離れた土地に暮らしても、大槌のことを思い出さない日はなかっただろう。
叔母に心配をかけまいとしてずっとずっと我慢しながらも、心の底には哀しみや虚しさが鉛のように重く沈んでいて、心が晴れる日など一日もなかっただろう。
ずっと、帰りたかったのだと思う。
誰もいないと解っていても、帰って、その目で見て、感じて、確かめたかったんじゃないかと思う。
心は、ずっと、大槌にあったのだから。。
大槌に向かう旅の途中、出会った人たちはみんなハルに優しくしてくれた。
同じ哀しみを抱える人に出会ったことは、辛いのは自分だけじゃないんだということをハルに気付かせてくれただろう。
そうして、少しずつ、少しずつ、ハルの閉じた心が開かれていく。
必死に閉じ込めていた悲しみを解放して、泣くだけ泣いたら、生きなくちゃっていう力が少しずつ芽生えていく。
別れ際の固い握手は、お互いに前を向いて強く生きようという誓いだったかもしれない。
風の電話で、亡き人たちにずっと伝えたかったことをハルが語りかける。
ハルは、自分だけが置いていかれたと思って、自分だけが生き延びてしまったと思って、それが、何よりも悲しかったんだと思う。悔しかったんだと思う。
序盤、誰もいない空き地のような場所で一人「お父さん、お母さん、会いたいよ!」と泣き叫ぶハルの姿を観て、誰もこの子の哀しみを救うことなんて出来ないだろうと思っていた。
だけど、風の電話は、ハルの心を救ってくれたと思う。
前へ進むためのきっかけをくれたのではないかと思う。
そして、風の電話は実際にあの場所を訪れた3万人以上の人々の心に、今も何かを与え続けてくれているのだと思う。