ゆず

ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビューのゆずのレビュー・感想・評価

3.8
 女性の友情を描いた映画を見たかった。女性が男性を追いかけたり外見を変えたりしない映画を。大人になってから当時のことを振り返ると、その友情の影響が今の自分の人格や人間関係にあることに気づく。つまり本作は人生の重要な時期を描いてる。大人には高校生の悩みなんてかわいく思えるけど、彼らにとっては戦争。アクション映画や戦争映画のようなイメージで、バディ物の警察映画のようにお互いを支え合う2人を描きたかった。当時は思い出をつくることに取り憑かれていた。
「あなたがどんな人かを知っているし、私があなたのアイデンティティを正しい方向に保つ役目を担っている」という女性同士の所有意識は笑える。でもそれが抑圧にもなって、ストレスが溜まって爆発したりもする。思春期に植え付けられるジェンダーバイアスが、女性である自分を制限してしまうという問題については、この映画で描きたかったことのひとつ。

 若い時って、同性の友人関係よりも男性からどう見られるかを大事にしてしまうことがある。でも女性が女性を攻撃し始めると、お互いに守る義務があることを忘れてしまう。私はその問題を指摘したくて。最もクールなのは、仲間である女性と一緒に立ち上がれること。本当のリーダーは、共同作業ができる人。
 悪役を登場させ続ければ、観客はどんな物語にも悪人がいるんだと思い込んでしまう。そうすると、人生においても絶対どこかに悪人がいると考えてしまうと思う。みんなそれぞれ自分の人生を生きるのに必死で、彼女に対抗する敵はいないのです。なので、もう少しみんなリラックスして、自分を他から守らなきゃいけないという気持ちを緩めることができれば、いろんなチャンスが生まれてくると思う。描く上で避けたかったのは、漫画的な悪人を映画的デバイスとして使うこと。そうではなく、あえて観客にこの人は悪人かもしれないと思わせておき、そこから捻りを加えるような作り方。(モリーが好意を寄せる)ニックも、彼のような立ち位置だと意地悪な男の子という風に描かれがちだけど、決して彼女を失恋させたいと思っていたわけではなく、ただ優しかっただけ。でも人というのはすぐに、この人はこういうアイデンティティなんだと決めたがってしまう。そうすることで、自分の経験により秩序を持たせることができるから。かつて自分が失恋した男の子のことを振り返ってみても、ただタイミングや相手が違っただけで、別に悪気があったわけでも悪い人だったわけでもない。だから、どんな状況でもこの人は自分の悪役なんじゃないかって探す癖を、私たちはそもそもなくさないといけない。1人ひとりがベースとして持っている多様性というのは、すでに当たり前の前提で、人気者になるかそうでないかみたいなことは、あくまでそこから先の振る舞いの話である、ということになっている。
 バービー人形のその体型的な幻想(に対する批評性)、要するに、非常にフェミニズム的な批判意識が込められている。

 参考にした映画として「ビバリーヒルズ・コップ」「トレーニング デイ」「リーサル・ウェポン」を挙げた。この主人公、特にモリー側は、これまでの学園物なら確実に、「悪役寄りの脇役」扱いだったキャラクター。『ブックスマート』っていうのは本ばかり読んでいて、実際の経験が乏しい人。(すべてネットの引用)
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