カルダモン

アメイジング・グレイス アレサ・フランクリンのカルダモンのレビュー・感想・評価

4.1
1972年1月、ニュー・テンプル・ミッショナリー・バプティスト教会で行われたアレサ・フランクリンのコンサート。『amazing grace』というライブ盤としてもリリースされているこの教会コンサートは、もともと映像作品として記録する予定で進められており、演者も観客もそのつもりで臨んだ本番だったのだが、スタッフのミスなのか何なのか、音と映像の編集点のズレを修正する技術がなく企画倒れとなり、音源のみがリリースされることになった。解説では撮影開始とともにカチンコを鳴らさなかったという記載があったのだけど、そのくらいで映像作品にできないなんてことがあるのだろうか。監督のシドニー・ポラックは読唇術の出来る人を雇い編集を試みたものの、まったく成果がなくて頭を抱えていたようです。ともあれ時代が50年進んだ現在の技術でもって映像と音源をシンクロし復活させたのが本作。

アレサ・フランクリンは有名な曲を数曲知ってるくらいで、私は映画を見るまで上記の概要さえ知らない状態という距離感。バックボーンを知っていればより作品の深みも増すだろうというのは理解しつつ、いざ始まってみると生々しい当時の雰囲気にびっくり。

私は勝手に堂々たる貫禄の姿をイメージしていたのですが、当時29歳の彼女はとてもシャイな雰囲気で、気恥ずかしそうにしているのが意外でした。特に2日目のライブではお父さんが来場していて、そこでの彼女は完全に娘の顔だったのがとてもキュート。歌ってる途中で顔の汗をタオルでガシガシ拭くお父さん!こんなこと出来るの親子しかないね。長らくこの音源だけを聴いてたファンの人も、まさか顔をタオルで拭かれながら歌ってたとは思ってなかったに違いない。そう思うととても可笑しくなってきます。2018年に他界する前、彼女は本作の公開を渋っていたようですが、それはこの顔面タオルが恥ずかしかったんじゃないか、と邪推。というか単純に昔の姿を晒されるのは恥ずかしいって話かもしれないですが。

ライブそのものは不思議な高揚感に包まれていて、独特なグルーヴ感を生んでおりました。特に2日目のテンションは観客と渾然一体、バックを支えるコーラス隊との相乗効果によってどこまでも上がっていくような感覚がありました。時代が揺れているのは今も変わらず、しかし教会の役割はどうだろうか。この映像の中では途上であるという意識が強く、アレサの声が灯火のように照らすようだった。今このようなシンガーが存在するのか私は知らないけれど、人には教会が必要で、教会には歌が必要で、歌には人が必要なのだということが理解できる。こういう繋がりが映像として見えるか見えないかの違いは大きい。